大会 報告
1070-72
大 管長 会 会員 • 十二使徒 評議員 会 会員 大 祝福 師 による 説教
CHURCH LIBRARY-ARCHIVES
Res
M20^.1
C7^8JA 1970-72
THE CHURCH OF JESUS CHRIST OF LATTER-DAY SAINTS
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大会 報告
I 970— 72 年
大 管長 会 会員 十二使徒 評議員 会 会員 大 祝福 師 による 説教
末日 聖徒 イエス • キリス 卜 教会 東京 ディ スト リビュ 一シ ヨン センター
大会 報告 1970 — 72 Conference Report
発行所
末日 聖徒 ィ ヱス' キリス 卜 教会
東京 デ イス トリ ビュー シ ヨン センター
発行日 1978 年 3 月 1 日
印刷所
フ ォ ト 印刷 株式会社
SI'i
主より 導き を 受けて
まことに 主なる 神 は, そのし もべ である 予言者に その 隠れた 事 を 示さ ないで は, 何事 を もな されない。
(ァ モス 3:7 )
そこで ィ エス は 彼らに 言われた, 「それで は, あなたが たは わたし を だれと いうか」。 シ モン 'ぺ テロが 答 えてい つた, 「あなた こそ, 生ける 神 の子キ リ ス ト です」。
すると, イエス は 彼に むかって 言 われた, 「バル ョナ 'シ モン, あなた はさい わいで ある。 あなたに この こ と を あらわし たの は, 血肉で はなく, 天に います わた しの 父で ある。
そこで わたし も あなた に 言 う 。 あ なた はべ テロで ある。 そして, わた し はこの 岩の 上に わた しの 教会 を 建 てよう。 黄泉の 力 も それに 打ち勝つ こ と はない。
わたし は, あなたに 天国の かぎ を 授けよう。 そして, あなたが 地上で つなぐ こと は, 天で もつな がれ, あ な た が 地上で 解 くこと は 天で も 解か れ るであろう」。
(マ タイ 16:15—19)
およそ 聖霊に 感じた る 時 語る ところ はこと ごとく 聖典の 言 となり, 主の 意と なり, 主の 精神と なり, 主の 言 となり, 世 を 救いに 導く 神の 能力と なるべし。
(教義と 聖約 68: 4)
この 故に 汝ら 教会員 は, 彼が 上よ り受 くるま まに 汝らに 与う る誡 命と 彼の 言と を 皆 心に とめて よ く 聞き, わが 前に 全く 聖き道 を 履むべき なり。
そ は 彼の 言 は, 汝ら 全き 忍耐と 信 仰と を 以て, あたかも わが 口より 聞 く が 如く にこれ を 受け入れるべきな れ ばな り 。
これらの こと を 為さば, 地獄の 門 も 汝らに 打 勝たざる べし。 而 して, 誠に 主なる 神 は 汝らの 前よ り 暗闇の 力 を 追い払い, 汝らの 為と 神の 御名 の 栄光の ために もろもろの 天 を も 震 い 動かし めん。
主なる 神 かくの 如く 言う。 われ は 彼に' ま感を 与えて, 善 を 為す ために 大 いなる 力 を 以て シ オンの 大事 を 推 し 進めし む。
(教義と 聖約 68: 4 — 7)
私たち は 予言者の 書いた 聖文を 研 究し, 多くの 啓示 を 受け, また 予言 の 「みたま」 を もっている。 このよ う に 多 く の 証が あるので 私たち は 希 望 を 得て 私たちの 信仰 は 固くなる。 まことに その 信仰 は, 私たちが もし も イエスの 御名に よって 命ずれば, 実際 木 も 山 も 海の 波 も その 命令に 従 う ほど 強い。
それ にもかかわらず, 私たちが こ のように する 力 を もつ こと は, 全く 神の 恵みと 神の 人に 対する 厚い いつ く しみと による こと を さとらせ るた めに, 主なる 神 は 私たちに 自分た ち が 弱い こと を 認めさせた も う ので あ る。
ごらん, 主の 御 業 は 本当に 偉大で 驚嘆すべき 事で ある。 また 主の 奥義 が 何と 深くて, 隅々 まで 知ろうと し て もむ つかしい ことよ。 それで ある から, 主の なした もうこと を 一切 知 るの はとても 人間業で で きる ことで はない。 主の 道が 啓示され なかった ならこれ を 知る 者 は 一人 もない。 そ れ であるから 兄弟た ちょ, 神の 下さ る 啓示 を 軽ん じて はならない。
(モル モン 経ャ コ ブ 4:6 — 8 )
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「大会 報告」 を活 きた ものと する
私たち は 今 この 大会に 集って いる が, 大会から 何 を 得ようと している の だろ う か。 生活 を 改善す る こ と だ ろう 力つ 家族 を 向上させる こと だろ 'つか。 それとも ワード 部 や 支部 を 変 える ことだろう か。
問題 は, 大会 を 通して 「新しい 秩 序」 を 私たちの 生活の 中で うち 立て たいと 思って いるかと いう ことで あ る。 もしそうならば, 私たちが この 総 大会に 集 つ た 理由 も 明ら かで ある 。 そう, 私たち 一人一人が 「新しい 秩 序」 で 出発す る ことで ある。
では どのよ うに 進めて いったら よ いだろう 力 >。 ひとつの 方法 を 紹介し よう。 それ は, 大会が 終わった 後に,
この 会場から 約 3 千 マイル も 離れて 住んで いる 家族の 人で も 実行で きる 方法で ある。 大会での 説教が 掲載 さ れ ている 「聖徒の 道」 が 家に 届いた ら, すぐに 家族で その メッセージ を 読む こと。 年長の 子供に は 特定の 説
教 について 報告 をさせる ことで ある。 ただ 読む だけで はない。 家庭の タ べにお いて, この 大会の メッセージ に基づいて 家族と しての, また 個人 としての 目標 を 立てる ので ある。 目 標は 実際に 則した ものにする。 例え ば 「毎日の 祈りの 中に 袓母 のこと を 入れる, 讃美歌 を 暗記す る, 家族の 準備状況 を 点検す る, 主の 望む こと を 私たちの 方法で はな く 主の 方法に よって 行なう, 非 教会員 を 教会に 連 れて くる」 など を 目標と する。 また 家族で 目標に ついて 話し合い, 祈つ て, たびたび 検討す る。 このように 進めて くると, 次のように 語る 父親 がいても もはや 不思議で はない ので ある。 「私たちの 家族 は 総 大会 を, 主が 私た ち に 何 をす ベ き か を 教えて 下さる 機会 だと 思って います。 それ は 私た ちや子 供た ちに とって 言葉 以 上の 深い 意味 を 持って いるので す。 兄弟 姉妹, この 総 大会で 受けた 教
え は 私た ち に どれ ほ どの 影響 を 与え るであろう 力、。 両親と して どれほど 大切だろう 力、。 また 役員 教師と して, また ホーム ティー チヤ 一あるいは 家 庭 訪問 教師と して どれほど 重要な 意 味が あるの だろう か。
私 はこれ までの 総 大会の 経験から, 聖霊に 感動して 話された 言葉 は 「聖 典」 の 言葉で あると いう こと を 証す
る。 主 は 次のように 語られた。 「聖 霊に 感じた る 時 語る ところ はこと ご とく 聖典の 言と なり, 主の 言葉と な り, 主の 声と なり, 世 を 救いに 導く 神の 能力と なるべし。」 (教義と 聖約 68 : 4 )
私た ちが こ の 大会で 選んだ 目標が 私たちに, 家族に, 隣人に, また 私 たちの ヮー ド部ゃ 支部の 会員た ちに 救い を もたらす ものと なる よ うに 心 力 、ら 祈る も ので ある。
( J . トーマス 'ファイア ンズ, 1974 年 10 月 5 日の 総 大会に おける 説教)
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目 次 |
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主より 導き を 受けて |
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厂 大会 報告」 を活 きた ものと する |
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目 次 |
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主の 王国の しもべた ち …… |
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1 970 年 4 月 第 140 回 年次 総 大会 |
27 |
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19.70 年 10 月 第 140 回 半期 総 大会 |
87 |
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1971 年 4 月 第 141 回 年次 総 大会 |
'…- - 153 |
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1971 年 10 月 第 141. 回 半期 総 大会 |
…… 215 |
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1972 年 4 月 第 142 回 年次 総 大会 |
…… 287 |
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1972 年 10 月 第 142 回 半期 総 大会 |
…… 345 |
主の 王国の しちべ たち
デヒ ッド • 0 • マッケイ 6
ジ ヨセフ • フィ 一ルディ ング •
ス ミス 9
ハロル ド • B • リー 10
スぺ ンサ一 • W • キン ボール …… 1 1
エズラ • タフ 卜' ベンソン 13
マーク' E • ピーター セン 14
デル バー 卜 • L • ス ティ プレ —— 14
マリオン • G • ロムニー 15
リ グ ラン ド ' リ チヤ ーズ 16
リチャード. L • エバンズ 16
ヒュ一 • B . ブラウン 18
ハヮー ド • W • ハン タ一 18
ゴ一 ドン • B . ヒンク レ一 19
N • エル ドン • タナー 20
卜 一 マス. S. モンソン 20
ボイ ド • K • パッカ一 21
マー ビン • J • ァシュ トン 22
ブル一 ス ' R • マッコ ンキ一 22
L • 卜 ム • ペリ一 23
デビ ッ ド' B • ヘイ 卜'… 23
エル ド レッド • G • ス ミス 24
末日 聖徒 ィ エス' キリス ト 教会の 予言者, 聖 見者, 啓示 を受く る 者と して, 人々 から 愛された デビ ッ ド •
0 - マ ッ ケィ大 管長 は, 1970 年 1 月 18 曰, ユタ 州 ソルト レークの 自宅で 逝去した。 96 年の 生涯 を 終えた 予言 者の 葬儀 は 1 月 22 日 ソルト レークの タバナ ク ルで 挙行され た。
デビ ッ ド • オーマン' マッケイ は 教会の 第 9 代大 管長と して 1951 年 4 月 9 日 ソルト レー クタ バナク ルで開 かれた 厳粛な 集会に おいて 支持され た。 時に 77 歳であった。
予言者, 聖 見者, 啓示 を受く る 者 の 死去に より, およそ 20 年間に わた り 続いた 地上に おける 神の 王国の 進 歩の 行軍の 一^^ つが, 他に 類 を 見ない 時代と して 終止符 を 打った。
彼が 大 管長 会に 在任 期間 中, 教会 は 歴史 を 通じて 類 を 見ない 驚異的な 進歩と 発展 を 遂げた。
マッケイ 大 管長 は, 「聖霊 と共にい る ことができる ようにべ ス トを尽 くす」 との 誓いの もとに 教会の 指導 者と いう 責任 を 引き受けた。 霊感 あ ふるる 指導, 彼に 率いられた 大 管長 会の 業績 は, マッケイ 大 管長が 聖霊 と共にあった ことの 証で ある。 それ はま さしく 「黄金時代」 であった。
大 管長
デビ ッ ド • 0 • マッケイ
教会 出版 局長
ヘンリー 'A. ス ミス
本当の 意味で, 教会が 国際的 視野に 立った 時代で ある。
1952 年の 夏, マッケイ 大 管長が 聖 任 後 初めて 欧州 を 訪れた とき, 彼 は 「ァメ リ 力の 教会と ョ 一口 ッ パの教 会員との 接近」 を 確信した。 この 訪 問 中, スイス 神殿 用地 を 選び, 現在 建造な つた a ン ドン 神殿の 用地の 購 入 を 考えた のだった。
これが マ ッ ケィ大 管長の 考え方で ある。 すなわち, 世界の 国々 に 住む 末日 聖徒が, もし 神殿の 霊に かかわ る 大きな 祝福 を 受ける ことができる とすれば, 聖徒 は袓 国に とどま り , 教会 を 建てる であろ う と。 彼 は大管 長 会 在任 期間に, 5 つの 神殿 を 奉献 した 力:, そのうち 3 つが アメリカ 以 外の 国々, すなわち スイス, ィ ギリ ス, ニュージーランドであった とい う 事実 は こ の 点に おいて 彼が いかに 努力 した かの 証拠と なろ う 。
さ らに, 「国際的 視野に 立った 方 針」 という 彼の 言葉の 証と もなる ベ き 事柄が あげられる。 すなわち, 大 管長 会 在任 期間 中に, イギリス, ョ 一口 ツバ', 南アメリカ, さ らに 太平 洋 諸島に おいて 最初の ステーキ 部が 組織され たので ある。 これらの 最初 は, 1961 年に 組織され た マン チェス
ター ステーキ 部であった。
デ ビッド • 0 • マッケイ は 劇的な 情況の も とに 教会の 大 管長と なった。 第 121 回 年次 総 大会 は 4 月の 6 , 7, 8 日に 予定され, 数 週間 前から 計画 が 練られて いた。 大会の 開かれる 2 日 前, すなわち 1951 年 4 月 4 日' ジ ョ ージ. アル バート. スミ ス大 管長
は 自分の 誕生日に あたる その 日に ソ ルト レーク • シティ 一の 自宅で 逝去 された ので ある。 そのと き, ベッド の 傍らに はス ミ ス大 管長の 家族と, 大 管長の 後継者が 見守って いた。 大 管長 会の 責任が 重く 彼の 肩に のし か かってき たのであった。
2 日 後, 総 大会 は大 管長 空席の ま ま 開かれた。 管理 権 は 十二使徒 評議 員 会に あ り , デビ ッ ド • 0 • マッケ ィは その 会長であった。 出席した 人 人 や ラジオ, テレビで 大会の 模様 を 見聞き した 多くの 人々 の 記 億に よる と, 十二使徒 評議員 会 管理の もとに 総 大会が 開かれた の はこれ が はじめ てであった。
土曜日の 大会 はス ミ ス大 管長 葬儀 のた め 中止と なり, マッケイ 会長が 葬式 を 管理した。 そして, 大会 は 月 曜日に も 開かれ, 午前の 大会で マツ ケィ大 管長が 支持され, 同時に 大管
6
長 会が 組織され た。 副 管長 は, ステ
イーブン' L • リ チヤ ーズと J 'ノレ 一 ベン • クラーク . ジュニア であつ た。
マ ッ ケィ大 管長が 在任した 20 年 近 くの 間の 教会員 数, ステーキ 部, ヮ ード 部, 伝道 部の 数に は 教会の 成長 が 顕著に 示されて いる。 1951 年 マ ッ ケィ大 管長が 就任した と き 教会員の 数 は 約 115 万人で あつたの に 対し 今日で は 300 万人 近 く に 急増 し ている。 1951 年 ステーキ 部数 は 180 で あつたのに 対し, 現在 は 500 である。 当時 ヮー ド 部と 支部の 合計 は 1,541 で あつたのに 対し, 現在で は 4, 200 を 越 える。 1951 年 伝道 部数 は 43 であった のに 対し, 現在 は 80 を 越えて いる。
この 成長 は, マッケイ 大 管長の 霊 感に 満ちた 進歩的な 指導 性に よ る と ころが 非常に 大きい。 教会の 支部 組 織の ある 世界の いたる 所で, 彼の 影 響 力 を 感じる ことができる。 彼は大 管長と して 最も 旅 をした 人で ある。 近代 輸送機関 を 利用して, 文字通り 地球の 隅々 にまで 旅し, 聖徒た ちと 会い, 宣教師 を 力 づけ, 礼拝堂 や 神 殿を献 堂し, いたる 所で 教会の ため に 友 を 作った。 その 旅行の 中には, イギリスと ョ 一口 ッ パを 数回, 中 南 米お よび メキシコ, 南アフリカ (マ ッケィ 大 管長 は 南ァ フ リ 力 を 訪れた 最初の 教会 幹部で ある) また, かつ て大 管長が 足 を 伸ばした ことのない ニュージーランド や オーストラリア を 含む 太平洋 諸国の 伝道 部 訪問が あ る。
マ ッ ケィ大 管長の 教会 幹部と して の 在任 期間 は 約 64 年の 長き にわた つ た。 十二使徒 評議員 会に 指名 された のが 1906 年 4 月, 32 歳のと きで あつ
た。
デビ ッド • 0 'マッケイ は, 1873
年 9 月 8 日, スコットランドからの 改宗者 デ ビッ ド • マッケイ を 父と し, ゥ エール ズ 出身の ジ ヱ ネット' エバ
ンズを 母と して, ユタ 州 オグデン バ リーの'、 ンッ ビルに 生まれた。 七 歳 のとき, 父 は 2 年間 英国で 伝道す る 宣教師に 召され, '、ン ッ ビルに 残つ た 母と 子供た ち は 農耕 に 従事 し た 。 (マ ッ ケィ 一族 は 長年 ハン ッ ビルの 家 を 別荘と して 使って おり, マッケ ィ 大 管長 も 最後の 病に ふせる まで, 家族と 共に 生家で 過ごす の を 楽しみ と していた。)
デビ ッ ド • 0 • マッケイ は ハン ッ ビルで 初等教育 を 受け, 1894 年 ソル トレー ク • シティ 一の ユタ 大学へ 入 学, 1897 年の 卒業の ときには 総代 を つとめた。
卒業後 宣教師に 召され, 父に 続い て イギリスで 伝道し, 教会の 傑出し た 宣教師の 一人 という 評判 を 得た。 このよ う にして, 宣教師と 指導者と しての 人生が 始 つたので ある。 1898 年 3 月, グラスゴー 地方 部長に 任命 され 1899 年 9 月に 帰国す るまで 一年 以上 その 召しに あった。
1899 年, 現在 はゥ ユー バー 州立大 学と なって いる ユタ 州 ォ ゲデ ンのゥ ヱ 一 バー • ァカ デミ 一の 教師に 任命 され, 1902 年に はこの 学校の 校長に なって いる。
マッケイ 大 管長 は 1901 年 1 月 2 曰 ソルト レーク 神殿に おいて, ソルト レーク • シティ 一 出身の エマ 'レイ' リ つ ゲスと 結婚した。 二人 は 世界中 の 末 日 聖徒の 範 となる 理想的な 伴侶 であった。 二人に は 七 人の子 供が い る。 デビ ッ ド' ロー レンス' マッケ ィ, ロウ i リン • R • マツ ケィ 博士, ロイヤル • リツ ゲス' マッケイ (死 亡), ラッセル (ロウ' ジーン) ブラ ッ ド 夫人, コンゥ ヱイ (エマ' ラ ェ) ァシュ 卜 ン 夫人, エド ヮー ド • R • マ ッケィ 博士, ロバート • R • マッケイ である。
1906 年 マ ッケィ 大 管長 は 使徒に 召 された 数 力 月 後, デ ゼレト 日曜 学校 協会 副 管理 会長に なった。 1918 年,
同 管理 会長に 《■! され, 1934^ 大 管長 会に f! される まで この 職に あった。 マッケイ 大 管長 は 「日曜 学校 近代化 の 父」 と してよ く 知られて いる。 多 くの 貢献のう ち, 日曜 学校 プ 0 ゲラ ムの 統一 化 や 日曜 学校 レツ スンの 技 術 と 方法の 改善 に関して は だれ も 及 ぶ ものがない。 幼稚園から 大人の ク ラスまで, 年令 別で 進んで ゆく 学習 コースが 始められ, 全 教会で 教師 養 成 プロ グラムが 採用され た。
マッケイ 大 管長 は 教会の 教育 プロ グラムに 多大の 貢献 をな している。 1906 年から 1919 年まで, 彼 は 教会 教 育 管理 会の 会員で あり, 1919 年から 1 92 1 年まで 教会 教育 理事であった。 また, ユタ 大学の 理事, ユタ 州立大
学の 評議員であった。 死去した 時に も, 彼 は ブ リ ガム' ヤン ゲ 大学の 理 事 長, 教会 教育 管理 会長の 職に あつ た。
1921 年 マ ッ ケィ大 管長と ヒ ユー • J ,キ ヤノ ン 長老 は 世界 各地の 伝道
部 を 巡った。 このよう な 訪問 は 教会 幹部と して は, はじめての 事だった。
二人 は 南ァフ リ 力 を 除 く 全 伝道 部 を 訪れた。 距離に して 10 万キ a にも 及ぶ 旅行であった。
1922 年, イギリスに 本部 を 置く ョ 一口 ツバ 伝道 部 を 管理す るよ う 任命 され, 2 年間 その 職に あった。
その後 10 年間 は, 十二使徒 として 責任 を 果たし, 教会の 全世界に わた る 活動の 指導に つとめた。 そして 1934 年, 彼 は ヒーバー' J • グラ ン
ト大 管長に より, 大 管長 会 第二 副 管
長に 召された。 彼 は 1951 年大 管長に
なる まで, ゲラン ト大 管長, 後に ジ ョ ージ. アル バート. スミ ス大 管長
の 副 管長の 職に あった。
教会 役員と して 多忙な 中に も, マ ッ ケィ大 管長 は 市民と しての 多くの 義務, 責任 を 果たして きた。 1938 年 ユタ 州 知事 は 1947 年 7 月の モル モン 開拓者 ソ ル トレー ク 峡谷 到着 百年 記
念 を 迎える にあたって, マッケイ 大 管長 を 百年 記念祭 準備 委員長に 任命
した。 1947 年に なって, 一年間に わ たる 州 百年 記念祭が 行なわれ たが, ここで マッケイ 大 管長の 指導 性が フ ルに 発揮され た。 そして, ソル トレ ーク. シティ 一 東部の 丘に 美 し く 感 動的な, かの 「まさに この 土地 だ」 の 記念碑 を 建て, 奉献した。 そこ は, ブ リカ 'ム' ヤングと モル モ ンの 開拓 者が 最初に グレート 'ソルト レーク 峡谷に 足 を 踏み 人れ た 地で ある。
マッケイ 大 管長 は 多くの 説教, 著 書 を 残した。 数々 の 書籍 や 月刊誌 「ィ ンプ ルー ブメ ント 'エラ」, 「ィ
ンス トラクター」, 「聖徒の 道」 に そ れらが 見られる。 この 宗教 的な 文献 は, 人々 から 愛された 偉大な 指導者 の' M 感 あふれる 指導 性の 記念碑と し て 長く その 名 をと どめる であろう。 彼 は 多くの 栄誉 を 受けた 人で あつ た。 プリ ガム • ヤング 大学, ユタ 州 立 大学, ユタ 大学, ペンシルバニア 州 フ イラ デルフィ ァの テン プル 大学 よ り 名誉 博士号 を 受けた。 1951 年テ ン プル 大学よ り 名誉 博士号 を 受けた と きの 表彰状の 一部 を 引用して みよ う。 「氏の 生涯 は, 教会の 評議員, 教 会の 学校の 指導, 外国 伝道の 進展, 教義と 教えに 関する 著作 活動, 教会
関連 企業の 指導で 占められて き た」 1954 年 9 月 イリノイ 州 シ 力 ゴのサ 一 ジョン 国際 大学 は, マッケイ 大 管長 の 「人類の 福祉に 対する 貢献と 教育 お よ び 人道主義 確立への 努力 に 対 し て」 名誉会員 称 を 贈った。 その他, マッケイ 大 管長の 人類に 対する 顕著 な 働 き に対して 数々 の 栄誉 や 表彰が 贈られて いる。
偉大な 人道主義者, 模範 者た る 父, 社会の 指導者, 霊の 指導者, 霊感 あ ふれる 神の 予言者 を 失った 今, 何百 万と いう 人々 は 彼の 死 を 悼んで いる。
(「聖徒の 道」 に 掲載され た, ヘン リ 一 'A. ス ミ ス によ る 追悼 記事より)
8
ジ ヨセフ. フィ一 ルディ ング 'ス ミス
予言者 ジ ヨセフ' フィー ルディン グ' スミ ス 以上に, 長年に わたる 献 身 的な 奉仕 を 通じて 備えられ, 教会 の大 管長 会に 入った 人 はいない。 ジ ヨセフ' フィールデイング' ス ミス
の 名 は, 彼の 父で あり, 1901 年から 1918 年に かけて 教会 を 管理した ジ ョ セフ • F . ス ミス にち なんでつ け ら れた。 ジ ヨセフ' フィー ルディン ゲ' ス ミス はまた, 予言者 ジ ヨセフ • ス ミ スの 傍らにあって 不変 不動に 立ち 続けた 忠実な ハイ ラム' スミ スの孫 である。
ジ ヨセフ • フィー ルディ ンゲ • ス
ミ ス大 管長 は 十二使徒 評議員の 空席 を 満たすべく, 1910 年に 33 歳で 召さ れ, 以来 60 年 以上に わたって 主 イエ ス • キリスト の 使徒 と して 忠実に 働 いた。 また 前大 管長の 重責 を 担い 5 年間 大 管長 会の 副 管長 を 務めた。
教会 幹部と しヌの 驚異的な 記録に 加えて 他の 分野での ス ミ ス大 管長の 働きと 貢献 も 教会史 上 ほとんど 比類 のない ものである。 ス ミ ス大 管長 は, 49 年の 間 教会 歴史家と して 働き, 教 会の 歴史と 教義に 関する 特別な 知識 は, 教会 中で 長年に わたって 権威 あ る ものと して 認められ てきた。 彼の 手になる 著作の 多く は 福音 を 学ぶ 者
にと つて 欠かす こ とので きない もの となって いる。
ス \ ス大 管長 は, 1876 年 7 月 19 日 に 生まれた。 1898 年 4 月, 21 歳のと き , 最初の 妻 となった ルイ 一 'エミ ラ. シ ヤー トリ フ と 結婚した。 そ し て 結婚 後わず か 1 年後の 1899 年 5 月 12 日, ス ミス 大 管長 は 父親に よって 七十 人に 按手 聖 任され, 翌日 伝道 地 に 向けて 旅立った。 ス ミス 大 管長に とって, このような 個人的な 犠牲 を 払う こと は, 今日の 私たちの ように 容易ではなかった。 しかし, ス ミス 大 管長 は その 召し を 受け, 2 年間 ノ ッ チン ガム. カン ファレン ス (英国 中部) で 働き, 1901 年 6 月に 帰国し た。
帰国 後, ス ミ ス大 管長 は, 教会 歴 史 事務局で 働 くこと になり, 生涯の 大部分 を そこでの 仕事に 捧げた。 さ ら に 1907 年 系図 協会の 書記に 任命 さ れた。
ジ ヨセフ' フィールデイング' ス ミ ス大 管長 は, 故 デビ ッ ド • 0 • マ
ッケィ 大 管長が 使徒に 召 されて 4 年 後の 1910 年 4 月 7 日, 使徒に 聖 任さ れ , 十二使徒 評議員 となった。 使徒 と しての 在任 期間 はこの 神権 時代 最 長, 十二使徒 評議員 会 会長と して は 一番の 高齢で ある。 また 十二使徒 評 議員 会 会長と 副 管長 兼任 は 彼が 初め てであった。 そして マッケイ 大 管長 の 死去に 伴い, 激動の 時代の 新たな 予言者, 第 10 代大 管長と して 召され たの は 93 歳の 高齢 を 数える ときで あ つた。 しかし 1972 年 7 月の 逝去の 日 まで は, まさに, 愛と 奉仕の 現世の 生涯 をし めく くると いうに ふさわし く, 多くの 人々 に 感銘 を 与える 献身 の 日々 であった。
十二使徒 評議員 会 会員に な る 2 年 前, ス ミ ス大 管長 は 最初の 妻 ルイ 一' X ミ ラ を 失った。 また 1908 年 11 月 2 日, エセル • ジョージ ナ • レイ ノル ズと 結婚した が, 彼女 は 1937 年 8 月
26 日 に 亡 くな つた。 最初の 妻ル ィ 一. ヱミ ラ との 約 10 年間の 結婚 生活 では ふたりの 娘に 恵まれて いた。 2 度 目の 妻 ジヱシ 一 • ヱ バン ズと 結婚 した。 ジヱシ 一は 以前 タパ ナクル 聖 歌隊の ァ ル ト 歌手で 独唱 者で あつ た 。 生来, 陽気 で 快活 な ジェシ 一 が 33 年 間大 管長の 傍らにあって, 大 管長 を 元気 づけ, 愛と 献身 を もって 大 管長 の 世話 をす る 姿に は, 全く 美しい も のがあった。 ジ: L シ 一は 生存 中に ス ミ ス大 管長が 教会の 大 管長になる の を 目に し, 大 管長が 数多くの 教会の 任務 を 帯びて 旅行す る 際に 同行し, 広く 各地 を 旅した。 大 管長の 厳しい fi タ行 日程に 従う だけでなく, 多くの 国々 で 聖徒た ちの 愛に あふれた 歓迎 会に も 出席した。 1971 年 8 月 3 日, ジェシ 一 が 心臓病 で 亡 くな つた 折に は, 大勢の 人々 が, ス ミス 大 管長の 悲しみと 寂し さ を 共に した。 当時, ノヽロ ルド . B • リ 一 副 管長が, ス ミ ス大 管長に 深い 関心と 同情 を 示す と, ス ミ ス大 管長 は 副 管長に 向かって, 自分の 義務 を 続けて 果た して ゆけ る ように, 主が 自分 を 強めて くださる だろう と 自信 を もって 語った と 言わ れる。
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ハロル ド . ビン ガム • リー
1889 年 アイ ダ ホ州ク リ フ ト ンでサ ミ ユエル. マリオン' リーと ルイザ' ェメ リン • ビン ガム' リー を 両親と
する 6 人 兄弟の 長男と して 誕生。
13 歳の ハ a ル ドは 教会 経営の 中学 校に 学び, ここで エズラ 'タフト' ベンソン を 知った。 その後, 州立師 範 学校に 学び, 17 歳で 教員 免許 を 取 得し, 18 歳で 校長と なった。 4 年間 の 教職 生活 を 終え, 伝道に 召された の は 1920 年の ことであった。 西部 諸 州 伝道 部での 召しから 解任され ると, 伝道 中 遠くから 敬服して いた ファン' ル シン ダ • タナーと ソルト レーク 神 殿で 結婚した。
その後 1932 年, ソルト レーク. シ テ ィ 一理 事の 死去に 伴って, 彼は理 事に 指名され た。 さらに 翌年 も 再選 された。
彼 は 結婚 後, パイオニア ステーキ 部内に 住んで いたが, そこで は 教会 の 責任が 次々 に 与えられた。 そして 1929 年, 副 ステーキ 部長に 指名され, その 翌年に は ステーキ 部長に 召され た。 そのと き 31 歳であった 彼 は, 当 時 教会で 最も 若い ステーキ 部長で あ つ た。
経済 恐慌の さ 中に あって, バイオ 二 ァステ ーキ 部の 若 き 指導者 は ヒ 一
バー. J . ゲラン ト大 管長の 指導の
下, 教会 保全 計画 (今日の 教会 福祉 計画) の 実施に あたるべく, 教会 福 祉 委員会の 一員に 召された。
問題 は 山積して いた。 農業 資産 を 集め, 食糧 を 生産し, また その 処理 施設 や 貯蔵 施設 を 造る こ と は 困難 を 極めた。 さらに 悪い ことに 教会の す る ことに 対して 批判的な 態度 を 取る 人々 がいた。 そのような 人 は, 福祉 などと いう もの は 政府の する 仕事で ある と 考えて いたのだった。
だが, 祈り と 説得に 努め, 汗と 涙 を 流し, そして 予言者からの 祝福 を 受けて, 彼はシ オンの ステーキ 部 を 東奔西走した。 その 結果, ようやく 計画 も 軌道に 乗り, 発展して, 隆盛 を 見る に 至った。
興味深い ことに, リ 一大 管長 を 補 佐した マリオン 'G. ロム 二 一 第二 副 管長 は, この 計画の 初期の 頃, 共 に 辛苦 をな めた 友で あり, また リー 大 管長の あと を 継い で 部長 となった 人で ある。 ふたり は それより 何年 も 前に, 個人的に 親しくな つていた。 ふたり 共, その 計画の 最初の 集会が 開かれた 頃 は, 作業 着 を 着て, 共に 働いた ものであった。 以来, ふたり は, 共に 働く 経験 を 積み重ねる うち に, 無類の 友と なった ので ある。
3 分の 1 世紀 前 を 振り返って みる と, リ 一大 管長の 双肩に 引き継がれ た 重責に 耐えさせるべく, このし も べを锻 練され た 主の 御手 を 見る こ と がで きる。 教会の 福祉 計画の 試練に 満ちた 開拓 時代に あって, 辛苦 をな め 信仰 を 試された リー 長老 は, ヒー バー • J • ゲラン 卜大 管長に よって 使徒 職に 召 さ れ, 1941 年 4 月 6 日 十 二 使徒 評議員 会の 一員と して 支持 さ れた。
この 責任 を 遂行す るに あたって, 彼は大 管長 会の 指示の 下に, 世界 各 地 を 旅し, 声 を あげて, 全人 類の 嘖 い 主の 使命 を 証し, 人々 の 心 を 動か
した。
デ ビッド . 0 . マッケイ 大 管長 は, リ 一 長老 が 教会の 全 プログラムに 通 じ, また それまでの 業績で 証明ず み の 行政 手腕 を 買って, 彼 を 相互 調整 委員会の 委員長に 指名し, 教会の 全 教科 課程 を 統合 させた。 これによ つ て, 教会の 教育 組織と 教育 施設に つ いて 完全な 分析が なされ, これまで 何年 間 も 使用され てきた 各 クラスの テキス 卜の 内容の 徹底的な 再検討が 試みられ たので ある。 彼の 指示の も と に 多大の 努力が 払われた ことによ つて, 教会 活動と 教義の あらゆる 面 の 知識 を 伝え, 各 会員の 霊性 を 高め るた めに, 相互 調整 教科 課程が つく られる ことと なった。 彼の 傑出した 指導力 は, この 責任に おいて 遺憾な く 発揮され た。 その 手腕 は 手堅く, その 目標 は, はっきりと 見定められ ていた。 教会 全体が, 彼の 奉仕に よ つ て 多大の 恩恵 を 受けて いる 。
マ ッ ケィ大 管長が 逝去し, ジョセ フ • フィールディング • ス ミス が大 管長の 職 を 継承した ことに 伴い, リ 一 長老 は, 十二使徒 評議員 会の 会長 となり, さらに スミ ス大 管長に よ つ て, 第一 副 管長に 選ばれた。 このた め, 彼が 以前から 携わって いた 活動 のう ち 幾つかの 議長 職 を 退かねば な ら なくなつ たが 所期の 目的 は, 彼の 全般的な 指導 を 受けて, そのまま 引 き 継がれて いる。 教会の 教師た ち を さらに 訓練す るた めに, 様々 な プロ ゲ ラムが 設けられた。 監督の 訓練 プ ログ ラム も 実行に 移され, 全世界の 宣教師 プロ グラム も 強化され た。
彼が, これら 一連の 活動 やその 他 数多くの 活動 を 指導して いた とき, 彼の 行政 者と しての 秀でた 手腕 は, 他 の 分野で も 認められた。 彼 はァメ リ 力 赤十字の 中央 管理 会の 一員に 指名 されて いた。 また, 全ァメ リ 力 適正 生命保険 協会, ユニオン' バ シフィ ック 鉄道, その他 多くの 会社から 理
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事と して 就任して 欲しい という 要請 を 受けて いた。 彼 は, これらの 職に あって, 政界, 実業界, 教育界, そ の 他の 分野で 政府の 要人 と 交わる 機 会 を 持った。 彼の 親友の 中には, 上 記の 人々 も 入って いる。 これらの 人 人 は, リ 一大 管長の 判断 を 尊重し, 当時の 交遊 を 懐し く 感じて いる。 ュ
タ 州 にある 3 つの 主要 大学 一 ブ リ ガム . ヤング 大学, ユタ 大学, ユタ
州立大学 一 は 皆, 彼に 名誉 学位 を 贈って いる。 国内 各地の 教育家た ち は, 彼 を 理解 ある 友の ひとりに 数え ている。 17 歳で 公立学校の 教職に つ いた 人物が, そのような 思慮 を 持ち, 評価 を 得て いたと しても 不思議 はな いであろう。
ジ ヨセフ • フ ィー ルディ ンゲ • ス ミス 大 管長が, 1972 年 7 月 2 日の 夕 方, 静かに 息 を 引きと つたと き, 十 二 使徒 評議員 会の すべての 会員の 心 に は, だれが ス ミ ス大 管長の 後 を 継 いで 大管 長になる かとい う 疑惑の 気 持 は, いさ さか もなかった。 7 月 2 曰 金曜日の 朝, 十二使徒 評議員 会の 会員 は, ソルト レーク 神殿の 神聖な 一室に 集った。 その 静かな 聖 なる 場 所で, 皆, 心 を 開いて みたまの ささ やき を 求めた。 居合わせた すべての 人々 の 心 は, その ささやきの 答えに, ひとつと なった。 主によ り 選ばれ, 幼年時代 か ら 回復 された 福音の 原則 の 中で 育ち, 31 年間 使徒の 職に あつ て 練られ, 锻 えられた ハロルド' ビ ン ガム • リ 一は, 末日 聖徒 ィ ヱス • キ リ ス 卜 教会の 大 管長, 予言者, 聖 見者に して 啓示 を 受ける 者と して 指 名され, 按手 聖 任された ので ある。
ス ペンザ 一 • W • キン ボ ール
ス ペン サー • ウーリー • キン ボー ルは, 1973 年 12 月 30 日, 末日 聖徒 ィ エス' キリス ト 教会 第 12 代大 管長と なった。 これ は 彼の 長期 間に わたる 教会 指導者と しての 生活の 中で, ま さに クライマックス と言える。
当時 十二使徒 定員 会 会長であった 彼 は, ユタ 州 ソルト レーク . シティ
一に ある ソル 卜 レーク 神殿で 行なわ れた 十二使徒 定員 会の 会合で, 「予言 者, 聖言 者, 啓示 を 受ける 者, 教会 の大 管長」 として 支持され た。 この ようにして 彼 は, 前大 管長 故 ハロル ド • B • リ 一の 後 を 継いだ ので ある。
ス ペン サー • W • キン ボール は, 1895 年 3 月 28 日, アンドリュー' キ ン ボ 一 ルとォ リーブ 'ウーリー. キ ン ボールの 間の 6 番目の 子供と して 生まれた。 アン ド リ ユー は, 使徒で あ り 予言者で あ り 宣教師 であり 第一 副 管長であった ヒーバー' C • キン ボールの 息子で ある。 ヒーバー • C . キン ボール は 1835 年に 十二使徒に 召され, 次いで, 1847 年に はブ リガ ム • ヤン グの副 管長 となり, 以後 こ の 世 を 去る まで その 職に あった。 彼 はこの 末日 の 最初の 十二使徒の ひ と りで ある。
キ ン ボ 一 ル大 管長の 母方の 袓 父で ある エドウィン. デル ワース 'ウー リ 一 はブ リ ガム. ヤン グ大 管長の 実 務 顧問 をした 人で あり, また ヒー バ 一 • J • ゲラン ト大 管長が 所属した ヮ 一 ド 部の 監督で もあった。
キ ン ボ 一 ル大 管長 は ソルト レーク. シティ 一の 生まれで ある 力;, ァリゾ ナ 人と して 育つ こと になった。
大 管長 会の 命に よ り , 彼の 父が, ァ リ ゾ ナ 州 の 肥沃な ギラ 'バレーに ある サ ツチ ヤーと いう 町に 赴き, セ ン 卜ジ ヨセフ ステーキ 部 を 管理す る ことにな つたので ある。 それが 26 年 半 続き, その後 12 年間 は, イン ディ アン 居留地 伝道 部の 伝道 部長に 召 さ れた。 このように インディアンへの 伝道に 熱意 を 煩け る 父から ィ ン ディ アンの いろいろな 物語 や 歌 を 聞いた ス ペン サ 一の 心に は, 彼らへの 愛が 次第に はぐく まれ, 後に ィ ン ディア ン 問題の 指導者と して 長期 間に わた つて 人々 の 支持 を 受ける 結果と なつ た。
キン ボール 大 管長 はサ ツチ ヤーの 学校で も 常に 指導 的 立場に 立ち, 学 業 も スポーツ も 優等であった。 彼 は パブ リ ック 'ス クール を 出る と 教会 の ギラ' アカデミー (現ィ 一 スタン アリゾナ ジュニアカレッジ) に 入り, 在籍 4 年のう ちに 級長, 学生自治会 長 を 務めた。 伝道 後はァ リ ゾナ 大学 に 出席し, 1969 年, ブリガム 'ヤン ゲ 大学 か ら 名誉 法学 博士号 を 授与 さ れた。
キ ン ボ 一 ル大 管長が 最初 に 召 さ れ た 伝道 部 は スイス • ドイツ 伝道 部で あつたが, 1914 年に 勃発した 第一 次 世界大戦 のために 帰国 を 余儀なく さ れ, 合衆国の 中部 諸 州 伝道 部へ 転任 となった。 それから 今日に 至る まで, 彼 は 世界中の 伝道 部 を 訪れ, 宣教師 と 会い, また 長年に わたり 教会の 伝 道 役員会の 会長 を 務めた。 彼が 面接 し た 宣教師 は 数万 名 にも 達する だろ
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彼の 実業 歴は 銀行員に 始まる。 現 金 出納係 を 皮切りに, 帳簿 係, 支店 長, 副 支配人へ と 昇進し, 銀行 退職 後 は キン ボール • ゲリ ーン ハーフ 保 険 不動産 会社の 経営者 となった。 十 二 使徒 評議員への 召し を 受けた の は この 仕事 をして いたと きで ある。 そ の 後 彼が 役員と して 名 を 連ねた もの に は, アリゾナ 保険 協会 理事, 州 退 官 教職員 協会 理事, ギラ ジュニア 力 レ ッ ジ 教育 管理 会 幹事お よ び 委員な どが ある。 また ギラ • バレー 初の ラ
ジォ 局で ある ギラ腿 会社 (KGLU) の 設立 発起人と なり, 経営に も 加わ つた。 また ギラ • バレー 開発 地区 幹 事, ァリ ゾナ • ビマ 綿花 栽培 協会 幹 事 も 務めた。 自分で も 小さな 畑 を 耕 し, 綿花と アル フ アル フ ァ草を 栽培 していた。 ほかに もス カウ 卜, 教育, 政治, 商業 会議所, a — タリー クラ ブ など, 公共, 実業 を 問わず, 数多 くの 重責 を 担って きた。 ロータリー クラブで は 地区 管理 委員長, ス カウ ト では 評 塞 会の 理事お よび 理事長 を 務めた。
教会での 奉仕 は, 12 歳で 執事の 職 に聖 任された 頃から 始まり, 以来 今 日に 至る まで, ほとんどの 組 識でそ の 才能 を 遺憾な く 発揮して した。
彼 は 長年に わたって ァ リ ゾナ 州の セント ジョセ フ ステーキ 部に おいて 書記の 任に あつたが, 後に 副 ステー キ 部長と して 12 年間 働き, 次いで 新 しく 設立され た 同 州の マウ ン トゲレ アム ステーキ 部の ステーキ 部長に 召
され, 5 年 半の 間 働いた。 1938 年ギ ラ • バレー の 北部の 町 ダンカン で 起 きた 大 洪水の 後, 教会員の ために 大 規模 な 救済 活動 を 指示 したの は 彼で ある。
結婚 は 1917 年の 11 月, 伝道から 帰 つてからの ことであった。 相手 はギ ラ ジュニアカレッジ で 教鞭 を 執って いた カミラ' アイリング である。 力
ミラ は メキシコからの 難民で, コロ ニァ • フアレスの モル モン 居留地で 生まれ, ビラ 革命のと きに 家族 共々 国 を 追われた。
カミラの 学生生活 は, メキシコの フアレス ステーキ アカデミー を 発端 に, ユタ 州 プロボの ブリ ガム • ヤン グ 大学 , ュ タ 州 ローガンの ユタ 州 立
大学, そして カリフォルニア 大学へ と 進んだ。 父はェ ド ワード' クリス チャン' アイ リンゲ, 母 は キヤ 口 ラ イン • ロムニー である。 キン ボール 大 管長 夫妻に は, 1974 年 現在で, 子 供が 4 人 (男 3 人, 女 ひと り), 孫が 27 人, 曽孫が 12 人い る。 このような わけで 彼の 家族 は 50 名に なんなん と している が, この 家庭 こそ 彼の 人生 の 核心 をな す ものである。 娘の グラ ント. M . マツ ク 夫人 (ォ リーブ' べス) はタバ ナクル 合唱団の 一員で あり, 息子の ひと りス ペン サ 一' L' キン ボール はゥ イス コンシ ン 大学 法 学部長, D —ズ 奨学金 受領者, ユタ 大学 法学部 長で あり, 保険に 関する 書物 も 数冊 著して いる。 ニュー メキ シ コ に 住む ァ ン ドリ ユー' キン ボー ル は 傑出 した ゼネ ラル. エレクト リ ッ ク 社員, ェ ド ヮ 一 ド は ブ リ ガム' ャ ン ゲ 大学 法学部 教授で ある。 キン ボ ール大 管長が 十二使徒 評議員 会 会員 に 召 された の は 1943 年 7 月 8 日, 聖 任 は 同年 10 月 7 日, ヒーバー' J • グ ラン ト大 管長から 受けて いる。
十二使徒 評議員 会 会員と して, 彼 は 洋の東西を問わず 世界中 を く まな く 旅して いる。 南ァメ リ 力 大陸 は 南 端から 北端まで, 中央 ァメ リ カゃメ キシコ 訪問 は 数え切れない。 カナダ 全域, ョ 一口 ッ バ 各国, ニュー ジー ラン ドゃ オース ト ラ リ ァを はじめと する 南太平洋 諸島, 日本, 韓国, 南 ァ 共和国, それに 合衆国の 全域と い つた 具合で ある。 また ほとんどの 伝 道 部, ステーキ 部 を 訪問し, 南ァメ リ 力, 南太平洋 諸島, 合衆国, カナ
ダ では 多くの ステーキ 部 を 創設, 分 割お よび 再組識 した。 その外に も 実 務 部長と して 南ァ メリ 力の 伝道 事業 を 3 年間, 英国 を 2 年間 管理した。 キン ボール 大 管長 は プリ ガム . ャ
ン ゲ 大学お よ び 教会 学校教育 委員会 の 理事, ユタ' ホーム. フ アイ ヤー. ィ ン シュア ランス • カンパニー およ びべ ネフ イシ ャル' ライフ' イン シ ユア ランス' カンパニーの 重役 を務 めて きた。 また 若人の 成長に も 広汎 にわた つて 努力 を 傾注し, 少女の プ
D グラム や 後に 社会奉仕 事業へ と 発 展 し た 青少年 社会復帰 委員会な ど を 創設した。 著作 も 若人の 奉仕に 関す る ものが 多い。 現在 も大 管長と して, これら 多くの 管理 会 や 委員会の 長と して 働いて いる。 かって ユタ 州 エフ ライムに ある スノー カレッジの イン ス ティ テュー 卜の 学生た ちが, 彼に
「人 を 育てる 庭師」 (Gardener of Souls) という 名誉 ある 称号 を 贈った。 ヒーバー • J • ゲラ ン ト大 管長が
教会 を 管理して いた 頃から, キン ボ 一 ル大 管長の インディアン プロ ゲラ ムに 指導者と して 献身的な 働き をな し, 過去 四 半世紀の 間ィ ンデ イアン 委員会の 委員長 を 務めた。 彼の 指導 の 下で 多くの ことが なされた が, そ の最た る もの は 「イン ディア ン 学生 紹介 プロ ゲ ラム」 であろう。 これ は 8 歳から 18 歳までの ィ ン ディ アンの 少 年少 女 を モル モンの 家庭に 託し, 教 育の 向上 を はかる もので あり, 1954 年に はわず か 68 名の 登録 だつ たもの 力;', 現在 (1969 — 70) では 5, 000 名 近 くになつ ている。 その他に も 教会が イン ディ アンの 生活 向上の ために 設 けて きた プロ グラム は 枚挙の いとま がない。
11 歳のと きに キン ボール 大 管長 は サミュエル. クラ リツ ジ から 祝福 師 の 祝福 を 受けて いるが, その 中の 一 節 を 紹介しょう。
「あなた は 多くの 人々 に, 特に レー
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マン 人に 福音 を宣べ 伝える であろう 。 なぜなら 主 は あなたに, 言語の 賜と 福音 を 至極 平易に 表現す る 能力 を 祝 福され るからで ある。 そして あなた は, 彼らが 自らの 民の まわりに 防壁 の ごとく 立つべく, 備え をす る 姿 を 目撃す るであろう。」 (サミュエル.
H • クラ リッジに よ る 祝福 師の 祝福, 1906 年 6 月 6 日)
この 祝福 は 成就した。 今までに 彼 ほど ひんぱんに レーマン 人 (イン テ' イアン) の も と を 訪れ, 語り かけ, 彼らと 行動 を 共に した 指導者 は ほか にいない ので ある。
キン ボール 大 管長 は 名の 通った 演 説 家で も あり, 彼の 説教 は 印刷され た 分 だけで も. 相当な 量に のぼる。 ま た 聖歌隊 指導者, ヮ 一 ド部ォ ル ガニ ストと しても 活躍し, 数々 の 会に お いて コーラスの 一員と して 演奏した
経験 も ある。
キン ボール 大 管長 は 半生 を 通して, 常に 重大な 危機 か ら その 生命 を 守 ら れ てきた 人で ある。 一度 は 溺れて 死
にかけ, 顔 s 麻痺に かかり, 陽チフ ス や 天然痘 で 重態 に 陥った こと も あ
る。 また 1957{f-: に は 咽喉に できた 悪 性 腫瘍 を 切除す る 手術 を 受け, 片方 の 声帯 全部と も う 一方の 半分 を 失い, その 結果 一時 は 全く 話す 能力 を 失つ てし まった。 しかし 今, その 深みの ある 落ち着いた 声 は, 教会の 指導者 と しての 働きに 何らの 支障 もき たし ていない。 それに 1971 年に は 75 歳と いう 高齢で 心臓 切開手術 を 受けた が, 今 は 全く 健康 そのもの である。
彼の 著作 は 小冊子 類が 多い が, 「赦 しの 奇跡」 「奇跡に 先駆ける 信仰」 の 2 冊の 単行本 はよ く 読まれて いる。
エズラ' タフ 卜' ベンソン
エズラ 'タフト' ベン ソ ンは 現在 末日 聖徒 イエス 'キリス 卜 教会の 十 二 使徒 評議員 会 会長で ある。 ベン ソ ン 長老 は 十二使徒 評議員 会で 30 年間 働き, 1973 年 12 月 28 日 金曜日に 先任 使徒と して この 管理の 職に 支持され た。
ベンソン 長老 は 多彩な 能力 を 発揮 して 教会の ために 働き, 国に おいて も アイ ゼ ンハヮ 一大 統領の 時代に 8 年間 ァメ リ 力 合衆国 農務 長官 を 務め た。
1933 年から 1937 年に かけて は, ァ ィ ダ ホ州ボ イシ ステ ーキ 部の ステ 一 キ 部長 会の 一員と して, また 2 年間 同 ステーキ 部の ステーキ 部長と して 働いた。 その後 首都 ワシントン D. C. へ 移 り, ここで ワシントン ステーキ 部の 初代 ステーキ 部長と なって, そ の 地の すべての 会員 を ま と め 組織 し た。 同時に 議会に おいても 活躍し, 十二使徒 評議員 会で 働 くよう 召され るまで その 任に あった。
彼の 曽袓父 ヱズラ • T • ベンソン は, 1847 年 7 月 24 日 ブリガム. ヤン ゲ と共に ソ ル ト レーク 盆地に 入植 し た 初期の 開拓者の 一人で, 使徒で あ つた。 そして 両親が アイダホ 州 南部
における 初期の 開拓に 加わり その 地 に人植 したため, 彼 は 1899 年 8 月 4 日 開拓地の ホイ ッ トニーと いう 小さ な 村で 生まれた。 青年の 頃, 彼はス カウト や 神権 活動に, また 教会の 補 助 組織に おいても 活発に 働いた。 ま た アイ ダ ホ の 学校に 学 び, その後 ュ タ 州 □ —ガンの ユタ 州立大学で 学ん だ。
1921 年から 1923 ィ |-: にかけ てべ ンソ ン 長老 は 英国 諸島に おいて 宣教師と して 働いた。 伝道 後 は, ユタ 州の プ 口 ボのブ リ ガム . ヤング 大学で 学び 優秀な 成績で 卒業して アイ ォヮ 大学 の 奨学金 を 受けた。 そして 同大 学で 修士 号 を 受け, 農業 栄誉 協会の 会員 に 選ばれた。 その後 力 リ フォルニ ァ 大学の 大学院で 学んだ。
1929 年から 1939 年に かけて は, 生 ま れ 故郷 である ァ イダ ホ 州 の 政界 で 働いた。
1939 年 春, ベンソン 長老 は 4, 600 も の 協同組合の 連合 体で ある 農業 家 協 同 全 M 評議会の 書記長に 任命され る という 栄誉 を 受けた。 以来 彼 は 農業 とス カウ 卜の 分野に おける 幾つかの 諮問委員会と 国民 会議で 働いた。 彼 は アメリカ. ボーイスカウト 国家 諮 問 委員会の 一員で あ り, スカウトの 名誉 ある 賞 を 数多く 受けて いる。 ま た 現在 はブ リガ ム • ヤン ゲ 大学の 理 事で あり, 幾つかの 商業 関 係の 会社 の 取締役で も ある。 そのほか, 第二 次 世界大戦 中 は, フランクリン • デ ラー ノ 'ルーズ ベルト 大統領の 農業 諮問 四 人 委員会で も 働いた。
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マ-- ク • E • ピーター セン
マーク. E . ピー ター セン 長老 は, 1944 年 4 月, 使徒と して, 末日 聖徒 ィヱス • キリス ト 教会の 十二使徒 評 議員 会に 召された。
ピー ター セン 長老 は 力強い 話し手, 文筆家と して 教会に 広く 知られて お り, 多年に わたって 教会の 広報 委員 会の 委員長と して, 広報活動に 顕著 な 働き をして きた。
現在 は 新 し く 組織 された 教会 広報 部 担当 アドバイザー として, もう 一 人の 十二使徒 評議員 会の 会員と 共に 働いて いる。
また そのよ う な 責任の 中に あって, 教会の 数多 く の 訪問者 セ ン ターの 設 立と 運営 を 率先して 指導して きた。
訪問者 セ ン ター は 教会の 多 く の 重要 な 史跡の ある 場所, 有名な ソル ト レ ーク • シティ 一の テンプル' スクェ ァを 始め, アメリカ合衆国 内, ィギ リス, スイス, ニュージーランドな ど, 神殿の 敷地 内に 設けられ ている。
元 新聞記者 であり, 編集者で あつ たこと から, 教会 幹部に なつてから も, 著作 や 説教 を 通じて 教会に 対し て 広範囲な 貢献 をして きた。 ビータ 一 セン 長老の 著した 論説 は 多く, 著 書 も 20 冊 ほどに のぼる。 そして これ
らは, その 時々 の 問題に 対する 理解 と 力強い 助言に 満ちて いるとの 好評 を 得て おり, 忠実に 福音の 原則に 従 い 正しい 生活 をす るよ う 教会員 特に 青少年 を 戒めて きた。
ピー ター セン 長老 は 1920 年代 中頃 に, ユタ 州 ソルト レーク • シティ 一 の 教会の 新聞 「デ ゼレ ト 'ニュー ズ」 の 記者と して, 論説 活動の スタ ートを 切った。 以後 主幹, 総務 主任 と 昇格し, 後に デゼ レト 新聞社の 社 長と なった。
ま た 彼 はかって 教会の 系図 協会の 部長と して 働いた が, 現在 は 系図 協 会 理事会の 一員で あ り 顧問で も ある。 また 教育 音楽 委員会の ァ ドバイ ザ 一 でも ある。
彼 は ほぼ 30 年間 教会の 役員と して, あるいは 他の 責任に よって 世界中の 伝道 部 や ステーキ 部 を 訪問した。 さ らに 1960 年代の 中頃に は, a ン ドン に 本部 を 置く 西ョー a ッパ 伝道 部 を 管理 し た 。
ピー ター セン 長老 は 1900 年 11 月 7 日に ソル 卜 レーク' シティ 一 で 生 ま れ, 1923 年 8 月 30 日に ソルト レーク 神殿で エマ 'マー' マクドナルドと 結婚した。 夫妻に はふたり の 娘が い る。
デル バー 卜 • L • ス ティ プレー
ァ リ ゾナ 出身の デル バー 卜 • L • ス ティ プレー 長老 は, 1950 年 10 月 5 日 末日 聖徒 ィヱス 'キリス ト 教会の 十二使徒 評議員 会 会員に 召 される ま で, フ 1 ニッ クス における 実業界, 地域社会 または 宗教 界の 優れた 指導 者であった。
ス ティ プレー 長老 は 1896 年 12 月 11 日に, ォーリ ィ • セ イマ 一と ポリ 一 • メイ 'ノ 、ンセ イカ 一' ス ティ プレー の 息子と して, ァリ ゾ ナ 州 メサに 生 まれた。 1915 年から 1917 年に かけて, ス ティ プレー 長老 は 南部 諸 州 伝道 部 で 伝道し, 第一次世界大戦 中 はァメ リカ 合衆国 海軍 部隊で 働いた。 さら に 戦争後 9 年 以上 もの 間, ァリ ゾ ナ 州 軍の 陸軍 少佐と して 働いた。
現在 は, ァ リ ゾナで 金物 類, 道具 類 を 扱う 同族会社, 0 • S • ス ティ プレー 社の 重役会の 会長 を している。 ま た ZCMI デバ 一 ト の 取締役で あ り , シ オン ファースト ナ ショナ ル 銀行の 重役で あ り , 信託 委員会の 一員で も ある。 ZCMI デパート, シ オン ファ 一 スト ナショ ナル 銀行 はいずれ もュ タ州 にある。 また アリゾナ 州 フエ 二 ックス のバ レーナ ショナ ル 保険会社 の 重役で も ある。
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參
そのほか, ユタ 州 プロボに ある ブ リ ガム. ヤン グ 大学の 理事お よ び教
会の 教育委員会の 委員で も ある。 ま た その他 幾つかの 教会の 委員会の 委
員 長 または 委員, 2 つの 教会 関係の 農場の 重役会 会長で ある。
ス ティ プレー 長老 はま た 地域社会 の 仕事で も 多くの 重要な 地位に ある。 かって はフ i ニックス' ライオンズ クラブ, フェニックス 'ベター ビジ ネス 局の 会長 を 務め, 1921 年から 1924 年に かけて 一期 4 年間 メサ 市議 会議 員の 席に あり, フヱ ニックス 商 ェ 会議所 や 他の ァ リ ゾナ グループで 活躍した。
ス ティ プレー 長老 は 熱心な 青少年 指導者と して, ァ リ ゾナ州 フエ ニッ クス • ァメ リカ ボー イス カウ ト • セ ォ ドア. ルーズ ベル 卜 評議会の 会長 を 務めた。 現在 は 同 評議会の 名誉 役 員 会の 一員で ある。 また グレート ソ ル卜 レーク • ァメ リカ ボー イス カウ ト 評議会の 実行委員, 西部 地区の 名 誉 実行委員会 諮問委員会の 一員で あ り, ボーイスカウト 全国 評議会の 一 員で ある。 また ス ティ プレー 長老 は, そ の 青少年 に 対す る 多大な 貢献に よ り, スカウトの 最高の 栄誉 を 与えら れた。
ス ティ プレー 長老 は マ リ コー パス
テーキ 部の 高等 評議員 を 12 年間, つ ェニッ クス ステーキ 部の 第一 副ステ
ーキ 部長 を 10 年間, そして ステーキ 部長 を 3 年間 務めた。 また 1944 年 か ら 1951 年に かけて は, 教会 福祉 プロ グラムの ァリ ゾナ 地区 委員長 を 務め た。
ス ティ プレー 夫人 は 旧姓 エセル • バーデ ッ ト • デービスと いい, 夫妻 に は 3 人の子 供が いる。
マリオン • G • ロムニー
マリオン • G • ロム ニー は 1951 年 10 月 6 日, 十二使徒 評議員 会 会員に 召され, 1972 年 7 月 7 日, 大 管長 第 二 副 管長に 指名され た。 そして ハロ ル ド • B • リ 一大 管長の も と で 約 1 年 半の 間 働いた 後, 1973 年 12 月 30 日, 新たに 召された ス ペン サー • W ♦ キ ン ボール 大 管長の も とで も 続けて 第 二 副 管長と して 働く ように 召された。
教会の 福祉 プ D グラム は 広く 世界 に 知れ わたって いるが, その 先が け の 頃から 陰の 導き手と なって いたの は 彼で ある。 彼 は 1941 年 6 月, 福祉 プ d グラムの 副 部長に 召されて いる。
口 ムニ 一 副 管長 は 1897 年 9 月 19 日, メキシコの コ ロニ ァ' フアレス で 生
まれた。 両親 はァメ リ 力 人で, 父 は ジョージ' S • ロムニー, 母 はァー テ メシア • レツ ド' ロムニー である。 彼 は 1912 年まで コ ロニ ァ' フアレス の 学校に 通った が, 内乱で ァメ リ 力 人の 立場が 危く なった ため, 彼の 家 族 も 財産 を あとに 残して メキシコ を 離れなければ ならなかった。 それ か ら 数年 経って, 彼の 父 は アイダホ 州 レックス バーグに ある リ ックス • ジ ュニァ カレッジ の 学長 となり, ロム ニー 副 管長 は そこ を 1920 年に 卒業し
た。 また 伝道 後 も ユタ 大学へ 進み, 1926 年に 理学博士 号 を 1932 年 に は 法 学 学士 号, さらに 後年に は 法学 博士 号 を 取得して いる。
卒業後 は 法曹界に 進んだ。 ソル ト レーク. シティ 一 で 11 年間 弁護士 と して 働いた 彼 は, その 間, 郡, 地区, 市 それぞれの 弁護士 補助 (assistant attorney) として 働いた。 また 1935 年 から 36 年まで 州 議会 議員 を 務めて い
る 0
兵役 は 1918 年, 陸軍であった。 1920 年から 23 年まで, 彼 は オース 卜 ラ リ ァで 専任 宣教師と して 働いた。 また 1935 年に は ソル ト レーク 第 33 ヮ ード 部の 監督, 1938 年に は ボン ネビ ル ステーキ 部の ステーキ 部長に 召 さ れた。
そして 1941 年 4 月 6 日, 新たに 設 けられた 十二使徒 評議員 会 補助の 職 に 召された 5 人のう ちの ひとりと な つ た。
ロムニー 副 管長の 教会 幹部と して の 仕事 は 多岐に わたる。 ホーム ティ 一 チン グ • 家庭の 夕べ 委員会 や 教会 建築 諮問委員会の 委員長 を 歴任し, 現在で も 教会 教育委員会, ブ リ ガム' ャ ン グ 大学 理事会の 理事 を はじめ, 数' 多 く の 教育お よ び 実業 組織の 役員 をして いる。
彼 は 1924 年 9 月 I2 日, ソルト レー ク 神殿で アイ ダ. ジヱ ン センと 結婚, リチャード • J と ジョージ • J とい う ふたり の 息子が いる。
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リグ ランド. リ チヤ一 ズ
リ グランド' リチ ヤー ズ 長老 は, 末日 聖徒 ィヱス 'キリス ト 教会 十二
使徒 評議員 会の 一員で あり, 60 年以 上 も 教会の 主要な 地位に あつ て 働 き , 加えて 同等 期間の 長 き にわた つ て不 動産 業で 成功 を 収めて きた。
リ チ ヤー ズ 長老 は その 家系に おけ る 第 3 番目の 使徒で ある。 父 は 十二 使徒 評議員 会 会長で あ つた ジョージ' F • リ チヤ ーズ, 祖父 は フランク リ ン . D • リチ ヤー ズでゃ は り 十二 使 徒 評議員 会 会長であった。 祖父 は 開 拓 者の 指導者で あり, 使徒で あり, ブ リ ガム. ヤン ゲ大 管長の 副 管長で あった ウィラード' リチ ヤー ズの甥 にあた る。 リチ ヤー ズ 長老 は アリス' A . ロビンソン を 母親と して 1886 年 2 月 6 曰, ユタ 州 ファーミン ゲ トン に 生まれた。
彼の 教会での 働き は, 1905 年から 1908 年に かけて 宣教師と して オラン ダに 召された 時に 始まる。 彼 は4 つ の 伝道 部で 伝道し, そのうちの ふた つ を 管理した。 また 3 つの ワード 部 で 監督 を 務め, 2 つの ステーキ 部の 高等 評議員と して, また ひとつの ス テーキ 部の ステーキ 部長と して 働い た。 また 14 年間 教会の 管理 監督と し
て, 1952 年 4 月 以降 は 十二使徒 評議 員 会の 一員と して 働いて いる。 リ チ ヤー ズ 長老に は 広く 読まれて
いる 教会 関係の3 冊の 著作が ある。 彼 は 1909 年5 月 19 日に ィ ナ • ジ ヱ
イン 'アシュトンと ソルト レーク 神 殿で 結婚し, 子供 は 男子が2 人' 女 子が 4 人い る。
リチ ヤー ド. L . エバンズ
1971 年 11 月 1 日の リチャード' L . エバンズ 長老の この 死すべき 世 からの 急逝 は, 我々 に はかり 知れな い, 限りない 空虚 さ を 残した。 その 思い は 遠い 所に, 高い 所, つつまし い 家庭に, そして 急逝 を 容易に 信じ ようと しない 人々 の 心の中に' 詩人 ヱ バン ズ がかって 語った 次の 言葉の ごと く 次第に 強く 押し寄せた。 「緑 深 き 枝の 巨大な ヒ マラ ャ 杉が 大 音響と と もに 倒れ そこに 空虚な 風景が 残る ごとく」 リチャード • L • エバンズ は 著名 な 人であった。 主の 使徒と して 全 世 界の 末日 聖徒 ィ エス' キリス ト 教会 の 会員に 尊敬され, ソルト レーク • シテ ィ 一の テン プル • スクェアから 放送され る, タパ ナクル 聖歌隊の コ 一 ラスに 交じえ た 「スポーク ンヮー ド」 の 創始者と して 数百 万の 人々 に 愛し 尊敬され, そして その 名 は ロー タリー クラ ブの 会長と して 百 カ国以 上に 広く 知れ わたって いる。
政府 関係者 や 数多 く の 一般人 も 彼 の 死 を 悲しみ, 残された 家族に 哀悼 の 意 を 表わした。
しかし, 貧しい 生まれの 彼が この よ う な 生涯 を 送る と はだれ が 想像し 得た だろう か。 9 人 兄弟の 末っ子と
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して 生まれた 彼 は, 生後 2 力 月 半で 父 を 事故で 失い, その 人生と 性格 は, 犠牲と 勇気と 信仰 に 一致 し た 家庭 に おいて, 慈愛に 満ちた 母親の 手に よ り 形成され ていった。
リチャード • L • エバンズの ため にこの 世の 成功に 至る 安易な 道を備 えて くれる 者はなかった。 彼 はよ く 昔の こと を 思い出しながら, 働かず に 学校へ 通った こと は 1 度 もなかつ たこと を 話して いた。 花売り, 新聞 配達, ソーダ 水 売り, トラックの 運 転 手, 毛織物 売り, 広告 屋, 印刷屋, 鉄道の 測量 員な ど を 経験し, その後 かけだしながら ラ ジォ 放送の 仕事に 入った。
ユタ 大学 在学 中に, 伝道の 召しが 来たた めに 勉学 を 中断した。 その後 約 3 年間 英国で 伝道し, 「ミ レニ ァ ル. スター」 の 副 編集長 となり, 後 にョー a ッ パ 伝道 部の 書記 となった。
伝道 後, ソルト レーク • シティ 一 の KSL 放送局に 入り, 同時に ユタ 大 学に 復学した。 そして 学士お よび 修
士の 学位 を 得た。 この 期間なら びに それ 以後, 彼 は 傑出した ラジオ アナ ゥンサ 一として, また 役員と して 認 めら れ るよ う になった。
リチャード • L • エバンズの 名 力;
世界的に 知れ わたるよ う になった の は, 1930 年に 彼が, 現在で は 定評の ある タパ ナクル 聖歌隊の 全国 向け 放 送の プロデューサ 一兼 アナウンサー の 職務に ついた ときであった。 その 番組の プロ デュサ 一 をしながら, 死 に 至る までの 40 年 以上 もの 間, 彼 は 毎日 曜日の 朝, 時宜 を 得た, 人 を 刺 激し, 心 を 奪い 立た せる 短い 説教 を 自ら 書き, 語った ので ある。 その 人 の 心 を 射る, また 励みと なり 動機 づ けと なる 霊感 あふれる 言葉 は, 幾 百 万の 家庭に 達し, 人々 の 生涯 を 動か した。 末日 聖徒 ィ エス 'キリスト教 会の 神学 をよ く 知らない 数多くの 人 々にと つて, 彼 は 唯一の 教会で あり,
形式的に 接す る 唯一の 宗教で あった。 また 彼の 放送した 時間に 合わせて 礼 拝 を 行なった 人々 の 数 は 数え 切れな
い 0
宣教師の 時代に 認め られた 文才に より 彼 は 30 歳のと き, 「イン プル ーブ メン 卜. ヱラ」 の 編集長に おされ, 30 年 以上 もの 間, 立派な 業績 をお さ めた。
教会 幹部に 召された の は 32 才 のと きで ある。 七十 人 最高 評議員の 召し は, 彼に 幅広い 伝道の 機会 を 与えた。 そ して 1953 年 主によ つて 使徒と して 召され, 十二使徒 評議員 会に 名 を 連 ら ねた。
彼 は, 教会の 集会で あろうが 教会 外の 席で あろうが, どこに あっても 悔い改め を 説き, 永遠の 原則 を 教え, 人生と 神の 徳, 永遠の 変わらざる も のからの 祝福 を 証した。 彼 は 自分の 利益 を 求めず, 神に 仕え, 仲間 を 助 け, 時間と 才能 を 主の 業の 発展の た めに, そして 人間の 徳の 向上の ため に 勤勉に 用いた ので ある。
危機に あるとき, 個人的な 必要が 生じた とき, 地位の 高い 者 も, 貧し い 者 も, 教会員 も 非 教会員 も, 多く の 人々 が リチャード • L • エバン ズ の 言葉 を 心に 浮かべた。 病い に 倒れ たと き, 彼が 生涯で 触れ合つ た 人々 が 遠方から 病院へ つめかけ, 家族 を 励ました。 11 月 4 日の 葬儀に は, 彼 が 関係して いた 世界中の 諸 団体の 代 表が 列席した。
テ ン プル • スク ヱァの タノ 《ナクル で 開かれた 葬儀で, 彼の 最愛の 妻ァ リ ス と 子供 を 伴な つた 4 人の 息子た ち 力;, 彼の 眠る 棺 から 数フ ィ 一 ト離 れた ところに 座った。 あふれん ばか りの タパ ナクルの 壇上に は, 教会 幹 部に 交じって 彼の 僚友が 席 を 連ら ね た。 真の 賛美 を こめた タパ ナクル 聖 歌隊の 歌声が 壁に こだまし, 会場 は 愛と 主の みたまに よ り 満たされ たの である。
リチャード • L • エバンズの 名 と 生涯 とその 使命 は 決して 忘れ去られ る ことがない。 「今日 も , そ していつ も」 感動と 感謝 を もって 思い出され る ことであろう。
(「聖徒の 道」 に 掲載され た, マリ オン • D • ハンク ス 長老に よ る 追悼 記事よ り)
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ヒ ユー • B • ブラウン
かって 陸軍 司官, 弁護士, 大学 教 授 であり, 石油 会社で 要職に あった ヒ ユー • B 'ブラウ ン 長老 は, 末日 聖徒 ィヱス 'キリス ト 教会 十二使徒 評議員 会の 一員で ある。 ブラウン 長 老 は故デ ビッド • 0 'マッケイ 大管 長の 第一 副 管長と して 働いた。
ブラウ ン 長老 は 1953 年に 十二使徒 評議員 会 補助に 召され, 1958 年 4 月 6 曰に 十二使徒 評議員 会 会員に 召さ れた。
彼 は 1883 年 10 月 24 日, ホーマー. マン リイと リディア • J • B 'ブラ ゥンの 14 人の子 供の 第 5 子, 次男と して, ユタ 州 ソルト レーク' シティ 一に 生まれた。 15 年後 家族 は カナダ へ 移住し, 彼 は 人生の 多く を ここで 過ごす こ と になった。
チャールズ • 0 • カード (カナダ, アルバータ 州 カードストン の 創設者) の 娘で あ り , ブ リ ガム 'ヤン ゲの孫 娘に あた る ザ イナ • ヤング • カード と 1908 年 6 月 17 日 ソルト レーク 神殿 において 結婚した。 現在 ブラウン 長 老 夫妻に は, 第二次世界大戦 中に 戦 死した 息子の ヒ ユー' カード. ブラウ ンを 除いて, 6 人の 娘と 息子が ひと り いる。
ブラウン 長 は 初 め カナダで, 後 に アメリカ合衆国で 弁護 七と して 働 いた。 第二次世界大戦 中 は カナダ 陸 軍の 海外 部隊で 働き, 陸軍 少佐まで 昇進した。 1946 年から 1950 年に かけ て は, ユタ 州 プロボに ある ブリガム • ャ ン ゲ 大学の 宗教学 教授, 退役 軍 人 問題の コー ディ ネーターであった。 また 教会 幹部に 召された 当時, ブラ ゥ ン 長老 は カナ ダの リ ツチ ラン ド石 油 開発 株式会社の 取締役 社長で あつ た。
ブラウ ン 長老の 教会 歴は 長い。 1904 年から 1906 年に かけて ィ ギリ ス で 宣教師 を 務め, その後 副 監督, ァ ルバ ータ (カナダ) ステーキ 部の 高 等 評議員, レス プリ. ッジ (カナダ) ステーキ 部の ステーキ 部長, ゲ ラナ ィ 卜 ステーキ 部 (ソルト レーク • シ ティー) の 副 ステーキ 部長, ステー キ 部長, また 2 度に わたって (1937 年 一 40 年, 1944 年 一 46 年) 英国 伝道 部の 伝道 部長 を 務めた。 第二次 世界 大戦 中 は, 末日 聖徒 軍人 活動の コ- ディ ネーター を 務めた。
ハヮ一 ド • W • ハンター
ハワード • W • ハンター 長老 は 現
在 末日 聖徒 ィヱス 'キリス 卜 教会の 十二使徒 評議員 会の 一員で あ り ,
1959 年 10 月 10 日に 使徒に 召される ま では, 南カリフォルニアの 著名な 法 律 家で あり 実業家であった。
その 半生 を 通して 教会の 活発 会員 である ハンター 長老 は, 1907 年 11 月 14 曰, ジョン • ウィリアムと ネリ ― • マリー • ラス マッセン • 'ヽ ンタ 一の 息子と して, ァ イダ ホ 州 ボ ィ シ に 生まれた が, ボ イシで 小 '中学校 に 通い, 高校 を 卒業す ると, 1928 年 に カリフ ォ ルニァ へ 移った。
1931 年 6 月 彼はソ ル ト レーク 神殿 で クララ. メイ. ジ I フスと 結婚 し
た。 大 恐慌の 時に, さらに 教育の 必 要 を 感じ, 妻と 幼ない 2 人の子 供 を かかえた まま, a サン ゼ ルスの サゥ スィー スタン 大学に 入学した。 そし て 卒業に 必要な 単位 を 修得す ると , 法学部で 学び, 1939 年に 法学 博士号 を 得て 優等で 卒業した。
卒業後 力 リ フ ォ ルニァ 州 法律 協会 への 所属 を 認められ, ロサンゼルス 法律家 協会, また 地区の 一流 法律家 の 組織の 一員と なった。 ユタ 州に 移 つてから は ユタ 法律家 協会に 所属す
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る こと を 認められた。 現在 幾つかの 大 き な 工業な ら びに 不動産 関係の 会 社, および 保険会社の 重役会の 一員 でも ある。
ハンター 長老 はィ ーグ ルス カウ ト であり, 長年 ス カウ 卜 活動 を 行なつ ている。 彼 は 教会の 青少年 プ a ゲラ ムの 中に あって 欠く ベから ざる 人材 である。
ハンター 長 g は 1 940 年に 口 サン ゼ ルスの エル ソレ ノヮー ド 部の 監督 と なり, 6 年間 その 職に あって 働いた。 1947 年から 1948 年に かけて は パサデ ナス テー キ 部で 大祭司 定員 会 会長, 1948 年から 1950 年に かけて は ステー キ部 高等 評議員 を 務め, また 1950 年 2 月から 1959 年 11 月に かけて パサデ ナ ステーキ 部の ステーキ 部長 を 務め た。 また その かたわら, 南部 カリフ オル ニァ 福祉 地区の 責任者に, その 後 分割 され 口 サン ゼ ルス 福祉 地区の 責任者に なった。
現在'、 ン ター 長老 は, 系図 協会の アドバイザー, ハワイの ポ リ ネ シ ァ 文化 セン ターの 所長と しても 活躍 中 である。
ゴー ドン • B • ヒンクレー
ゴードン. B . ヒンク レー 長 g は 末日 聖徒 ィ ヱス 'キリス ト 教会の 十 二 使徒 評議員 会の 一員で あり, これ までの 生涯の 多くの 時間 を 教会の 業 のために 捧げて きた。
彼 は 教会の 責任に 加えて, 地域 社 会 や 実業界で も 活躍して いる。 中で も CBS 放送と 提携して テレビ, ラジ ォ 放送 を 行なって いる KSL 株式会社 重役, 日 fij 新聞の 発行に おいて 西部 最古の 歴史 を 持つ デゼレ ト 新聞社 社 長で ある。 デゼ レ 卜 新聞社 は 商業 印 刷 部門で も 西部 最大の 規模 を 誇 る 。
ヒンク レー 長老 は 1910 年 6 月 23 日, ブライアント • S とァダ • ビ トナー • ヒンクレー の, 碧、 子 として ソルト レー ク • シティ 一に 生まれた。 地元の 学 校 を 卒業した 後, 1932 年に ユタ 大学 を 卒業した。
1933 年 6 月, 彼 は 2 年間 ィ ギ リ ス で 伝道す るよう f! され, 1934{卜:3 月 に は, ロンドンに 本部の ある ョ 一口 ツバ fe 道 部で 働く よ う 責任 を 受けた。 そして 1935 年に 帰還し, 2 年と 経た ない うちに デゼレ ト 日曜 学校 中央 管 理 会に /•! され, 1937' ボ から 1946{|-: ま での 9 'ヤ: 間 この 責任 を 務めた。
ヒンク レー 長 は, 1958{|-:4 月 10
曰, 十二使徒 評議員 会 補助に fl され るまで, 201 ト: 間 教会の ラ ジ ォ広 ft お よ び 伝道 文献 委員会の 書記 を, また 最後の 7 リ:. 問 は 中央 伝道 委員会の 書 記 を 務めた。 その後, 1961'4-:10 月 5 曰 に 十二使徒 評議員 会 会員に/ ィ さ れ た。
彼 は 教会の 大 管長から 数々 の 特別 な 責任 を 受けて 果たして きた。 その うちの 4 つ は, 神殿の 献 堂の 備に |3tl する ことであった。 その 神殿と は 1955' ボ- 9 月 に献堂 された ヨーロッパ 最初の 神殿で ある スイス 神殿, I956 年 3 月献 堂の ロサンゼルス 神殿, 1958 年 4 月献 堂の ニュー ジー ラン ド 神殿, 1958 年 9 月 献 堂の ロンドン 神 殿で ある。
ヒンクレー 長 -g- は 5 冊の 書物の 著 者で あり, その他に も 多くの 本 を 出 版して いる。 また 教会の 数多くの テ キ スト, パンフ レツ 卜, ラジオ ゃフ イルムの 台本 を 著した。 このような 広範な 活動に 加え, イースト ミルク リ ーク ステーキ 部の ステーキ 部長 会 の 一員と して 10 年, また 教会 幹部に な る 直前 まで 2 年間 ステーキ 部長 を 務めた。
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N • エル ドン • タナー
西部 力 ナ ダの 産業界お よび 政治 界 で 指導 的な 立場に あった N • ェ ルド ン • タナー は, 1973 年 12 月 30 日に 大 管長 会が 再組織され, ス ペン サ 一'
W - キン ボールが 新たに 大 管長に a
された とき, 継続して 第一 副 管長と しての 職 を 果たす よう 召された。 彼 は前大 管長 ハ D ル ド • B • リ 一の 在 任 中, すなわち 1972 年 7 月 7 日から 1973 年 12 月 26 日の 死去のと きまで, 第一 副 管長の 任に あった。
また 彼 は, その 前の 2 名の 大 管長, ジ ヨセフ • フィー ルディ ンゲ' スミ ス, デビ ッ ド • 0 • マッケイに, 第 二 副 管長と して 仕えて いる。
タナー 副 管長 は 1963 年に 大 管長 会 に 人った が, それ 以前 は 十二使徒 補 助と して 2 年, 十二使徒 評議会 会員 と して 1 年 働いて いる。
タ ナー副 管長の 力 ナ ダ での 経歴 は, アル バー タの パブ リックス ク 一 ルカ、 ら 始まった。 1928 年から 32 年まで 力 一 ドスト ンで 校長の 職に あった 彼 は, その かたわら 町議会 議員 を 1 期 務め た。 続いて アルバータ 州 議会 議員に 選出され, 議長 を 務めて いる。 また 後に アルバータ 州の 土地 • 鉱山 担当 長-き (Minister of Lands and Mines;
に 指名され た。 さらに 1942 年に はァ ルバ ータ 調査 評議会の 議長, 1946 年 に は ボー イス カウ ト 協会の 州コ ミ ッ シ ョ ナ 一の 要職に ついている。
1952 年から 58 年に かけて, 彼 は 力 ナダ 産業 会の 立 役者であった。 メ リ ル 石油 会社 社長 を 皮 切 りに ト a ン卜. ドミニ オン バンク . ォブ. カナダ 取
締役, 次いで トランス' カナダ' バ
ィ ブラ ィ ン 社長と 歴任。 その後 も 力 ナダ ガス 協会 会長, アルバータ 大学 幹事会 員に も 指名され ている。
教会での 職 は, まず カード スト 一 ン 第一 ヮー ド部 監督, エドモントン 支部 支部 長 を 経験した 後, 1953 年 か ら 1960 年に 教会 幹部と して 聖 任され るまで, ステーキ 部長と して 力 ルガ リ 一 ステーキ 部 を 管理した。 1961 年 4 月 9 日, 彼 は西ョ 一口 ツバ 伝道 部 長に 任命され, 1963 年 1 月 解任。 ソ ルト レーク' シティ 一 に 帰 つてから
は 教会の 系図 協会 会長に 任命され た。
タナー 副 管長 は カナ ダ生 まれの よ うに 言われる 力;, 実は 生まれ は ソル トレー ク • シティ 一で, 1898 年, 5 月 9 日の ことで ある。 家族が 力 ナ ダ の アル バー タ に 移った の は それから 3 週間 後の ことであった。
アルバータ 州 ヒ ルス プ リ ン グ 出身 のサラ 'ィ ザ ベル 'メリ ノレと の 結婚 は, 1919 年 12 月 20 日, 5 人の 娘が い る。 彼が 合衆国の 市民権 を 得た の は 1966 年 5 月 2 日で ある。
卜一 マス • S 'モンソン
トーマス 's. モン ソ ン 長老 は
1963 年 10 月 4 日に, 末日 聖徒 ィ ェ ス • キリス 卜 教会 十二使徒 評議員 会 会員に 召された。
十二使徒 評議員 会の 一員と しての 多くの 責任の 中には, 伝道 役員会の 一員と して, また 教会 内務 伝達 委員 会の ァ ドバイ ザ 一 と しての 仕事が あ る。
彼 は 1959 年から 1962 年に かけて 教 会の カナダ 伝道 部の 部長 を 務めた。 その 前に は, ソルト レーク' シティ 一の テ ン プル ビュ 一 ステーキ 部の ス テーキ 部長 会で, また 同じ ステーキ 部内で 監督と して 働いた。
-モ ン ソ ン 長老 は 1927 年 8 月 21 日, G • ス ペン サ 一と グラディス' コン ディー' モンソン の 息子 として, ソ ルト レーク • シティ 一で 生まれた。 彼はソ ル トレー クの 公立学校に 通い, 1948 年に は ユタ 大学 を 優等で 卒業 し た。 また 第二次世界大戦 中 はァメ リ 力 合衆国 海軍で 働いた。
また 1948 年 10 月 7 日 に ソル ト レー ク 神殿で フランシス 'ビバ リー' ジ ヨンソンと 結婚した。
大学 か ら 経営学の 学士 号 を 受けた 後, モン ソ ン 長老 はソ ルト レーク'
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シティ 一に ある 教会 所有の 日刊新聞 「デ ゼレ 卜 ニュー ズ」 の 仕事に 携わ つた。 また 後に 合衆国 西部で は大規
模 な 商業 印刷 会社 に 数えられる デゼ レト ニューズ プレス 社に 入り, 十二
使徒 評議員 会に 召された 後 も しばら くの 間 その 総支配人 を 務めた。 現在 は デゼレ ト 新聞社の 副社長で ある。 彼 はかって ユタ 印刷工 業の 社長で あり, ァ メリ 力 印刷工 業の 重役で あ つた。
彼 は 実業界で も 活躍して おり, 著 名な 幾つかの 会社の 重役で ある。 ま た ユタ 州 プ 口 ボ の ブ リガ ム • ヤン ゲ 大学 理事で も あり, ユタ 州 高等教育 委員会の 委員で も ある。
の 博士号 を 取得した。 ■ '
パッカ 一 長老 と そ の 妻 ドナ' スミ
ス • パッ カーに は 10 人の子 供が いる。
ボイ ド • K • パッカー
十二使徒 評議員 会 会員の ボイ ド • K • パッカー 長老 は 1970 年 4 月 以来 この 職に ある。 その 前 は 1961 年 以来 ずつ と 十二使徒 評議員 会 補助 を 務め てきた。
教育家と しての パッカー 長老の 経 歴に は, 教会の セ ミナ リー' インス ティ テュー ト の 指導主事, ブ リ ガ ム • ャ ン グ 大学 管理 評議会 会員 としての 働きが ある。 また 現在 は 教会の 教育 委員会の 委員で あ り , ブ リ ガム' ャ ング 大学 理事で も ある。
ノむン カー 長老 はかって ァメ リ 力 合 衆 国 東部の 二 ユー イング ラン ド 伝道 部の 部長 を 務め, 現在 は 神権 ホーム ティーチ ンゲ, 家庭の 夕べ, 教会の 軍隊 関係の プロ グラム を 担当して い る。
彼 は 地域社会の 事業に 熱心で, 州 議会の 議員と して 働いた こと も ある。 また 市民 組織, 教育 組織に 召喚され る こと も たびたびであった。
パッ カー 長老 は 1924 年 9 月 10 日ュ タ州 ブリ ガム' シティ 一に 生まれた。 第二次世界大戦 中 は 太平洋 地域で 爆 撃 機の バイ 口 つ トを 務めた。 また 州 立 大学で 科学の 学士 号と 修士 号 を 得, ブ リ ガム. ヤン グ 大学で 教育 管理 学
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マ一 ビン • J • ァシュ 卜ン
長い間 末日 聖徒 イエス 'キリスト 教会の 青少年 指導者と して 卓越した 働き をして きた マー ビン • J • ァシ
ュ 卜 ン 長老 は, 1971 年 12 月 2 日に 十 二 使徒 評議員 会 会員に 召された。
1969 年 10 月 以来, 十二使徒 評議員 会 補助 を 務め, 現在 は 教会 社会奉仕 プログラム アドバイザー, 教会 医療
奉仕 協会 理事, 教会 教育委員会 委員, 教会 内務 伝達 委員会 ァ ドバイ ザ 一, 施設 諮問委員会 委員長, 施設 管理 部 ァ ドバ ィザ 一, およ び 支出 承認 委員 会 委員 をして いる。
ァシュ トン 長老 は 11 年間, 教会の 青少年 活動 プ D グラムで ある 青年 男 子 相互 発達 協会 (YMMIA) の 中央 管 理 会長 会 副会長 を 務め, 21 年間 中央 管理 会の 一員と して 働いた。
彼 は 青少年 指導者 や 青少年 問題の 指導に その 関心 を 向け, 多くの 時間 を 割いて きた。 また アメリカ ボーイ ス カウ 卜 全国 委員会の 委員, 地区 実 行 委員会, グレート ソル 卜 レーク 評 議会の 実行委員会に おいても 働いた。 少年た ちに 対する 顕著な 働きに より, 2 つの 優れた スカウトの 賞 を 得, ィ 一 ゲ ルス カウ ト でも ある。 MIA 役員 として, アシュトン 長老 は 教会 全体
の 青少年の 音楽, ダンス, 演劇, ス ビーチ, スポーツ を 管理して きた。 ま た 25 年間 全 教会の ス ポー ッ プロ ゲ ラム を 管理した。
ユタ 州 議会の 上院議員 時代, ァシ ュ ト ン 長老 は 少年の 拘置に 関する 法 律 改善の た め そ の 先鋒 となって 働い た。 1960 年に は ユタ 州ホ ワイ ト ハウ ス 青少年 大会の 余暇 時間 部門 議長 を 務めた。
1937 年から 1939 年に かけて は, 英 国で 伝道の ために 働いた。 また 宣教 師 バス ケッ ドボ ール チームの キヤ ブ テンと なり, 英国の 全国 バス ケッ ト ボール 大会で 優勝した。 アシュトン 長老 は ユース • カレフ アレンス, 青 少年 指導の デ ィレ クタ 一, 講演者 と して 世界中 を 旅行した。 そして 1969 年に は 青少年に 対する 目 覚ま しい 働 きと 模範に よ り 賞が 贈られた。
職業 面で は 自ら 設立した アルタ 製 材 会社の 副社長, デ ゼレト 出版社 社 長, その他 数 力 所の 事業所の 役員と して 働いて いる。
ァ シュト ン 長老 は 1915 年 5 月 6 日: マー ビン •〇• と レイ 'J 'ァシュ ト ン の 息子 として ソルト レーク' シ ティーに 生まれ, ユタ 大学 経営管理 部 を 卒業した。 また 彼 は 1940 年に ソ ル トレー ク 神殿で ノ 一 マ' バーン ト ソンと 結婚し, 4 人の子 供が いる。 ァ シュト ン 夫人 は 扶助 協会 中央 管理 会 会員で ある。
フ ルース • R • マッコ ン キー
かって 合衆国 陸軍の 保安お よび 情 報 担当 将校で あり, 新聞の 論説 記者, 公務員であった ブルース • R • マツ コン キー 長老 は, 現在 末日 聖徒 イエ ス • キリス ト 教会の 十二使徒 評議員 会 会員で ある。 また 1946 年から 1972 年に かけて は 七十 人 最高 評議員 会の 会員であった。
マッコ ン キー 長老 は 1, 100 以上の 項 目 を 網羅した 百科事典 タ ィ プの書 「モル モン の教 fe」(MonR07) Doctrine) を 著し 出版した。 また ジ ヨセフ. フ ィ 一 ルディ ンゲ 'ス ミ ス大 管長の 説 教と 著作の 集大成で ある 「救いの 教親」 (Doctrines oj oaivation) (全 3 卷) を 編 慕した。 また 全 3 巻に 及ぶ 新約聖書の 注釈書 「新約聖書の 教義 注解」 ( Doctrinal New Testament し ommenZarj/) CD^-e X" も ある。
1961 年から 1964 年に かけて, マツ コン キー 長老 は オーストラリア, ビ ク トリ ァ州メ ル ボルンに 本部の ある 南 オースト ラリ ァ 伝道 部の 伝道 部長 を 務めた。
マッコ ン キー 長老 は 1915 年 7 月 29 日に, オスカー • W と ビビアン' レ ッ ド' マッコ ン キー を 両親 として, ミ シ ガン 州 アン • アーパーに 生まれ
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た。 当時 父親 は ミ シ ガン 大学で 法律 を 学んで いた。 彼 は 学生時代 いろいろな 活動に 携 わって いたが, 特に 討論 や 学校 年鑑 の 事務 処理な ど をよ く 行なった。
1934 年から 1936 年に かけて ァメ リ 力 合衆国 東部 伝道 部の 宣教師で あ つ た 時には, セネ 力お よび オル バニ ィ 地方の 地方 部長と して 働いた。
また ユタ 大学 在学 中 は, 教会の い
ろい ろな 指導者と しての 地位 を 務め た。 1946 年 10 月 10 日 に, 故 ジョー ジ • アル バー 卜' スミ ス大 管長に よ り 七十 人 最高 評議員 会の 一員に 聖任 された。
彼 は 1937 年 10 月 13 日に, 故 ジョセ フ • フィールデイング' ス ミス 大管 長の 娘で ある ァメ リア. ス ミスと 結 婚し, 9 人の子 供が いる。
彼 は 1937 年に は 教養 学 学士 号, 1939 年に は 法学 学士 号 を 修得して ュ タ 大学 を 卒業した。 さらに 1967 年 6 月 に は 同じ ユタ 大学から 法学 博士号 を 修得した。 1940 年から 1942 年に は ユタ 法律家 協会 会員, 弁護士, 市の 弁護士 補助, 検察官 を 務めた。
そ の 後 4 年間 は 軍隊の 保安お よ び 情報 担当 将校 を 務め, 野戦砲兵 隊予 備隊 陸軍 中佐の 地位で 軍 を 退き, 一 般 市民の 生活に 戻った。
教会 幹部と なった 後 も 一時, 軍隊 で 働 く 何千 人 という 青年た ち に 対す る 霊的な 指導 を 管理す る 教会の 軍人 コー ディ ネーター を 務めた。
い 卜 ム • ペリ一
末日 聖徒 ィ エス 'キリス ト 教会 十 二 使徒 評議員 会 会員の L . トム. ぺ リ 一 長老 は 1974 年 4 月 6 日, 現在の 職に 召された。 これまでに, 十二 使 徒 評議員 会 補助 , ボストン ステーキ 部 副 ステーキ 部長, ウェス トンワ 一 ド部副 監督 を 務めて いる。
彼 は マサチューセッツ 州 ボ ス トン に 6 年間 居住 し, ボストン 金属 器 機 百貨店の 財務 担当 副社長 に なった。 また 後に は ボス ト ン 近辺に 6 つの 百 貨店を 経営す る R • H 'ス ティ アン 商会の 経理 部長に なった。
また, 十二使徒に 召される まで 十 二 使徒 評議員 会 補助と して 働いた。
彼の 教会に おける 働き は, 2 年間 合衆国 海兵隊 員と して 太平洋 上で 働 いた 後の 1942 年 合衆国 北部での 伝道 に 始まった。
ぺ リ 一 長老 は 1949 年 ユタ 州立大学 において 経営学 学士 号 を 修得し, 1950 年 大学院 課程 に 進学 し た 。
ぺ リ 一 長老 は 1922 年 8 月 5 日, ュ タ 州 ローガンに 生まれ, 1 947 年 7 月 18 日, ユタ 州 ハイ ド パーク 出身の バ 一 ジニァ • リー と 結婚した。 現在, 1 男 2 女が ある。 夫人 は 1974 年 12 月 14 日 死去した。
デビ ッ ド. B • ヘイ 卜
1976 年 1 月 9 日, 金曜日, 大 管長 会 は 1970 年 4 月 6 日 以来 十二使徒 評 議員 会 補助の 任に あった ヘイ ト 長老 が 十二使徒 評議員 会 会員に 選任 さ れ たこと を 発表した。
これ は, 1975 年 12 月 2 日, ヒュ 一 • B • ブラウ ン 長老の 死去に よ つ て 空席 となつ た 十二使徒 評議員 会の 席 を 満たす ものである。
カリ フォルニ ァ州パ 口 アルト の 前
市長で ある ヘイ ト 長老 は, パ D アル
ト 商工会議所 会長, ダウンタウン 商 業 連盟 会長, また 半島 赤十字 血液 銀
行, スタン フォー ド 地区 ボーイ ス 力 ゥ ト 評議会お よ び サンフランシスコ 湾 地域 市長 評議会の デ ィレ クタ 一で もあった。 また 教会で 働く よう 召さ れた 当時 は, ユタ 州 プロボの ブ リガ ム . ヤング 大学の 副 学長 を 務めて い た。
実業 方面で は, ソルト レーク. シ
テ ィ 一の ZCMI デ パー 卜で 重要な 地 位に あ り, シカ ゴのモ ントゴ メリー ワード 社 (デパート) では 中西部 地 域 で 1 65 の 小売店 を 抱える 地区 支配人 であった。 また かって は カリフ オル 二 ァ州パ a アル 卜の 小売店 組織の 会 長で もあった。
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ヘイ ト 長老 は 1970 年 4 月 6 日に 十
二 使徒 袖 助の 責任に 任命 された 時' 教会の サ クラノン 卜, フレスノ 地区 の 十二使徒 会 地区 代表であった。 IS 63 年から 1966 年に かけて' スコット ラ ン ド 伝道 部の 部長で あつ た。 また
神権 伝道 委員会の 一員で もあった。 パロ アル ト ステーキ 部で は 12 年間 ス
テーキ 部長 を 務め, その 以前 は副監 督, パ a アルト ステーキ 部の 高等 評 議員であった。
ヘイ 卜 長老 は, 1906 年 9 月 2 日, ァ ィ ダホ 州ォー ク リーで, ヘクター' C と クララ. タトル' ヘイト の, き、 子 と して 生まれた。 ソルト レーク' シ ティーの ルビー' オルセンと ソルト レーク 神殿で 結婚し, 子供 は 2 男 1 女の 3 人で ある。 ヘイ ト 長老 は アイ ダホ州 オーク リ 一 高等学校, アイ ダ ホ 州 立 師範学校, ュ タ 州立大学で 学 んだ。
エル ド レツ ド • G 'ス ミス
ェ ルド レッド • G • スミ ス 長老 は, 末日 聖徒 ィ ヱス 'キリス ト 教会の 第 7 代大 祝福 師 である。 5 代 さかのぼ つ た 彼の 先袓ジ ヨセフ' ス ミス (初 代) は, 教会の 初代 大 祝福 師 であり, 予言者で あ る 教会の 設立者 ジ ヨセフ- ス ミ ス (二 代 目) は その子 供に あた る。
ス ミ ス 長老 は 1907 年 1 月 9 日, ュ タ' J'H リ 一 ヘイ で ハイ ラム • G と マー サ. ジー. スミ スの 息子と して 生ま れた。 父親が 管理 祝福 師 (これ は教 会に おける 唯一の 世襲に よ る 職で あ る) になった 時, 一家 は ソルト レー ク. シティ 一"^^^ ^移った。 青年 エル ド レツ ドは ここで 公立学校, 旧 末日 聖 徒 高等学校, ユタ 大学の 教育 を 受け た。
ス ミ ス 長老の 教会に おける 最初の 召し は, 1926 年から 1929 年に かけて の スイス. ドイツ 伝道 部の 宣教師の 召しであった。 その後, 1929 年から 1932 年に かけて リ パテ ィー ステーキ 部で 伝道 関係の 責任 を 受け, また 1936 年 11 月から 1 年 半の 間ェン サイ ン ステーキ 部で MIA の ステーキ 部 管 理 会員 を 務めた。 また, 1938 年 5 月 25 日に その 地位から 第 20 ヮー ド部第
二 副 監督に 召され, 1940' ギ 3 月に は ステーキ 部が 分割され, ステーキ 部 高等 評議員に 召された。 そして 1941 年 2 月 16 日に 新しく 組織 された 第 20 北部 ヮー ド 部の 監督に 支持され る ま で その 職に あった。
1944 年 1 月, 彼 は マン ハツ タン 原 子 力 ヱ ネ ル ギ 一 計画の 技術者 として テ ネ シ 一州 ォー ク リ ッ ジへ行 き , 1946 年まで その 地方の 教会の 支部 長 を 務めた。
ス ミ ス 長老 は, ソルト レーク' シ テ ィ 一に 戻った 後, 1947 年 4 月 6 日, 大 祝福 師に 支持され, 以来 教会 幹部 の 一人と して 教会の 数多くの ステー キ部を 訪問して いる。 また 彼 は, 今 までに 1 万 4 千 名 以上の 人々 に 祝福
師の 祝福 を 授けて きた。
ス ミ ス 長老 は 1932 年 8 月 17 日に ソ ノレ 卜 レーク 神殿で ジ ヤンヌ • ネスと 結婚し, 子供 は 2 男 3 女で, 14 人の 孫が いる。
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目 次
第 I 40 回
年次 総大 g
1970 j 4. 4-6 I
時の 動き
1969
1.20 米, ニクソン 大統領 就任。 7.20 米, アポロ n 号, 月面に 着陸。 1970
1.15 ビ アフラ 戦争 終結 1.18 デビ ッ ド* 0* マッケイ 大管 長 死去
1.23 ジ ヨセフ' フィールディング' ス ミス。 第 10 代大 管長に 召さ れる。
2.11 日本 初の 人工衛星 打ち上げ。
3.13 日 本 万国博覧会の モ<»1^ ン • パビリオンが 献 堂され る。
3.15 日本 万国博覧会 開幕。
' アジア 初の ステーキ 部, 日本 東京 ステーキ 部が 設立され る。 日本の 地の 伝道 事業が, 日本 東 伝道 部, 日本 伝道 部, 日本 中央 伝道 部, 日本 西部 伝道 部 に 分割され ると 発表され る。
3.31 日航機よ ど 号 事件。
4. 4 第 140 回 年次 総 大会。 -6 新大 管長 会が 支持され る。 前 十二使徒 補助 ボイ ド • K • パ ッ カーが 十二使徒に, ジョセ フ' アンダーソン, デビ ッ ド- B' ヘイ ト, ウイ リ アム' H • ベネットが 十二使徒 補助に 支 持され る。
■ 4 月 6 日 (月) 午前の 部に おける 説教
責任と 指導の 手綱 ジ ヨセフ • つ ィ 一 ルディ ンゲ 'ス ミス 29 私たちの 時代 '、口 ルド 'B. リー 31
■ 4 月 5 日 (日) 午前の 部に おける 説教
従順の 恵み N 'エルドン 'タナー 34
■ 4 月 4 日 (土) 午前の 部に おける 説教
神の 存在 ノ、 ワード .W 'ハンター 38
小さな 一歩 リチャード 'L. エバンズ 41
■ 4 月 4 日 (土) 午後の 部に おける 説教
人と 争わず, 確固たる 道 を ゴードン 'B. ヒンクレー 44
■ 4 月 4 日 (土) 神権 会に おける 説教
神権の 力と 影響 N, エルドン' タナー 48
信仰の 擁護 者た ちへ ハ 口 ルド • B . リー 50
神権の 召し を 全力 を
尽く して ジ ヨセフ • フ ィー ルディ ング' ス ミ ス 53
■ 4 月 5 日 (日) 午前の 部に おける 説教
平和の 鍵 マ リオン • G • ロムニー 55
揺るがぬ 信仰 デル ハ' 一 ト • L • ス ティ プレー 58
真理の 誕生 ヒ ユー • B • ブラウン 61
■ 4 月 5 日 (日) 午後の 部に おける 説教
予言者の 役割 マーク ピーター セン 64 たかが 教師 トーマス 'S* モンソン 67
■ 4 月 6 日 (月) 午前の 部に おける 説教
予言者が 必要で ある ス ペン サー • W • キン ボール 70
■ 4 月 6 日 (月) 午後の 部に おける 説教
世界に 伝える 言葉 エズラ 'タフト' ベンソン 74
「この 日 選びとりて」 ェ ルド レッド 'G 'ス ミス 78
なぜ 予言者が リグ ランド' リチ ヤー ズ 80
巫 和への 祈 り ジ ヨセフ • フ ィー ルディ ング' ス ミ ス 84
27
28
責任と 指導の 手綱
大 管長
ジ ヨセフ • フィールディング' ス ミス
愛する 兄弟 姉妹, 私 は 今日, へり くだって 皆様の 前に 立ち, 主が 私に, 私の 家族に, また あなたがたと 主の すべての 民に 注ぎた も う 祝福に 感謝 する。 私たち は 主の み 業に 従事し ている。
主 は 地の 歴史上 いかなると きに も, そのみ 業 をな す 人々 を 立てられる。
私たち は 一教 会と して, また ひと つの 民と して, マッケイ 大 管長の 霊 感 あふれる 指導, 偉大な 洞察力, 力 強い 腕に よ り 大いに 祝福 を 受けて き た。 彼 は 地上に おける) かしい 働き を 終わり, 他の 方法で 仕えるべく 天 の 家に/ ィ された。 そして 主 は 地ヒの 王国に おける 責任と 指導の 手綱 を? g る 私たちの 中に 委ねられた。
私たち は, 「主が 命じた もうこと に は, 人が それ を 為し とげる ために 前 以て ある 方法が 備えて あり, それで なくて は, 主 は 何の 命令 も 人に 下し
たまわな いこ と」 ( I ニーフ アイ 3 : 7) を 知ってい るので, このみ 業 は 主の 導きと 指示の 下に 繁栄し 続ける であろうと, 心から 確信して いる。 私 は, 自分の 力で この 教会 を 指導 できる 人間 は ひと り も いないと 申し 上げたい。 これ は主ィ エス' キリス 卜の 教会であって, キリスト がその 頭な ので ある。 教会 はキ リストの 名
をいた だき, キリストの 神権 を 持ち, キリストの 福音の 儀式 を 施し, キリ ス 卜の 教え を 説き, キ リ ス 卜の 業 を な している。
キ リ ス 卜が 人々 を 選び, 主の 目的 達成の ために 御自身の 道具と して 召 し, 彼らの 働き を 導かれる ので ある。 人 はあく まで も 主の み 手に ある 道具 であって, 主の しもべが なし 遂げる あらゆる 誉れと 栄光 は 永遠に 主に 帰 せられる。
もしも これが 人の 業であるなら く じかれ る こと もあろう が, これ は 主 のみ 業であって, 失敗に 帰す こと は ない。 私たちが 戒め を 守り, イエス の 証 を 雄々 しく 述べ, 託された すべ ての 事に 忠実であるなら ば, 主 は あ ら ゆる 目的の 成就の ために, 私たち と 教会 を義の 道に あって 導かれる と 確信して いる。
私たち は主ィ エス' キリストと, キリスト を 通じて 天父に 信仰の 中心 を 置いて いる。 私たち はキ リスト を 信じ, キリスト を 神の 御子と して 受 け 入れ, 水の パプ テス マ を 受けて そ のみ 名 を 受け, 養子縁組 によって キ リ ス ト の 息子, 娘と なって いる。
私 は 主の み 業 を 喜び, それが 真実, 神聖 だとい う 確かな 知識 を 心に 持つ こと を 誇りと している。
イエス. キリスト が 生ける 神の 御 子で ある こと, キリスト が 予言者 ジ ヨセフ' スミ スを 召して この 神権 時 代の 頭と なし, 地上に 教会すな わち 神の 王国 を 再び 組織され たこと, 私 た ち が 従事 している こ の 業が 真実で ある こと を, 私 は 心の底から 証す る。
父で ある ジ ヨセフ • F 'ス ミス 力: 教会の 第 6 代大 管長に 召された と き, 彼 は 献身的な 副 管長た ちに 感謝 を述 ベ, 主の み 前に 兄弟 皆 ひとつと なら ん ために, 教会の 万事に ついて 彼ら と はかる こと を 宣言した。
今 私 は, 副 管長に 全幅の 信頼 を 置 いている と 申し上げたい。 彼ら は 天 の 霊感に 導かれて いる 神の 人で ある。 彼ら は 聖霊の 力と 賜 を 享受して おり, 教会の ために なること, 天父の 子供 たちの 祝福と なること, 地上に 主の み 業 を 完成す る こと だけ を 願いと し ている。
ハロルド • B • リ 一 副 管長 は 真理
と義の 柱, 偉大な 霊の 力と 洞察力と 知恵 を 持った まことの 聖 見者で ある。 教会と 教会に 必要な 事柄 を 彼 以上に 知って 理解して いる 人 はいない。
N • ヱ ルドン. タナー 副 管長 は, 正しい 指導 や 助言 や 指示ので きる 管 理 能力と 霊的な 力 を 授かった 力量 あ る 人で, 完全無欠, 真理への 献身 者
29
である。
また, リー 副 管長と タナー 副 管長
について a うこと は 十二使徒 定員 会 やその 他の 教会 幹部に ついて も 同様 で, 彼ら はみ な 神の 人で ある。 私 は これらの 力 ある 兄弟 を 主が お立てに なり, 彼ら を 召して 教会の 指導者の 地位に 備えられ たこと を 感謝して い
る C
主の み 業 ほ ど 大切な 業 は 地上に 存 在し ない。 天父の 子供た ちに これ ほ ど 大きな 影響を及ぼす 奉仕と 責任 を 持った 職 は ほかに 存在し ない。 私た ちが 主の 王国に おける ま こ との 兄弟 姉妹と して 共に 働きながら, 前途に 横たわる 偉大な 業の 達成 目指して 努 める こと を 祈る ものである。
私たち は, 様々 の 信仰 を 持つ 人々 との 間に 愛と 調和の 精神が 高ま りつ つ ある 現代に 生きて いる。 私たち は すべての 宗教の 善意の 人々 と 手を携 えて, あらゆる 天父の 子供た ちの 霊 的, 物的 福利の ために 愛と 関心 を 示 すので ある。
私たち は 同胞の 進歩 発展の ために は, 何事に おいても どこに あっても 誠意 ある 善良な 人々 と 喜んで 協力す る。 なぜならば, すべての 人間 は 神 の 子供で あり, 人類 家族の 兄弟 姉妹 である こ と を 私たち は 知ってい るか ら である。 永遠の 父なる 神が み 手に なる すべての 業に 祝福 を 注がれん こ と を。
子供 を 教える 両親に 洞察の 力と 霊
感を 祝福した まえ。
勧告 を 求め, 受け入れ, 戒め を 守 るよう に, 教会の 子供と 若人 を 祝福
した まえ。
正しく, 忠実に, 効果的に, 主に 仕える ことができ るよう, 天父の 教 会の あらゆる 役員, 教師, 教会員 を 祝福した まえ。
義 にかな つて 主 を 仰ぎ, 平安と 幸 11 と 人生の 目的 を 見いだ す ことが で きる よ うに, この 世と あらゆる 人と を 祝福した まえ。 これらす ベて を, へり く だり 感謝しつつ 主 イエス • キ リ ス ト のみ 名に よって 願う 次第で あ
る 0 アーメン。
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私たちの 時代
ハロルド • B . リ一 大 管長 会 第一 副 管長 •+ 二 使徒 評議員 会 会長
私 は 愛す る 同僚 キン ボ ール 長老と 同じ 思いで, ボイ ド • K • パッ カー, ジ ヨセフ • アンダーソン, デ ビ ッ ド' B' ヘイト, ウィリアム 'H* ベネ ッ 卜の 愛する 各 兄弟 を 教会 幹部に 歓 迎 する。 あなたがた 兄弟 姉妹が 私た ちと 同じように 彼ら を 知れば, 彼ら の 力強い 指導力 を 感じる に違いない。
私たち はこの 場に 臨んで, 愛する マッケイ 大 管長の こと を 思い出さず に はいられない。 また 同様に マッケ ィ 姉妹, お聞きで あるならば あなた と 故 マ ッ ケィ大 管長の 素晴らし いご 家族に, 教会の 歴史が 新しい 別の 時 代に 入ろうと している 今, 私たちの 愛と 祝福 を 捧げたい。
きょう, 末日 聖徒 イエス 'キリス ト 教会 は, 聖典に 語られて いる この 時満 ちた る 神権 時代に 組織 されて 以 来 140 年の 歴史, に , 新しい 1 ページ を 迎えた ので ある。
今 は 亡 き 予言者, 偉大な デ ビ ッ ド • 0 . マッケイ 大 管長 は, 教会の 地上 における 頭と しての 自分の 管理の 職 の 報告 を するべく, みもとに 召され て 行った。 指導者た る 予言者の 死に は 必ず, それに 引き続いて 教会に も 世の中に も 大きな 出来事が 起きて い る。 この 予言者が 造り 主に 対して, 地上の 人間の 行ないに ついて 果た し
て 良い 報告が できた かどう か, 私に は 不安で ある。
教会の 管理者が 代わる とき, その 交替 は 独特な 方法に より, キン ボー ル 長老 も 言われた ように, 政治的 手 段 や 革命的な 方法 を 使って 主の み 業 に 混乱 や 挫折 を 招く ことのな いよう にす でに 定められ ている 計画に 従 つ て 行なわれる。
デ ビッド . 0 • マッケイ 大 管長 と それ 以前の 代々 の大 管長 は, 私たち に 知恵と 知識の 豊かな 宝 を 残して 行 つた。 大 管長が 亡くなる たびに, 感 謝に 満ちた 民の 心 は 名残り を 惜しん でい つ し よ に 天に 舞い 昇って 行く か のよ う であった。 彼らの 生涯 や 業績, 言葉, 偉業 は 幸いに して 教,! Ill の 書と なり, 教会 歴史に 記録され, のちの 人々 の 記憶に 跡 をと どめた。 神が そ の 遺産 を 各地の 信仰 篤い 人々 に 恵み たまわん こと を。 しかしながら 彼ら の 最大の 記録 は, 彼らが 熱心に 仕え て き た その 民の 心に 刻まれる ので あ る。
ここで, 大 管長の 死に 伴う 教会の 再組織に ついて 触れれば, 多くの 教 会員と 教会に 興味 を 持つ 人々 にと つ て 何ら かの 参考と なる であろ う 。
「教会の 大 管長 は どのよう にして 選 ばれる の 力 M と f3 問す る 人に 対して
は, 信仰 筒条の 葉が 簡潔, 正確な 答えであろう。 「われら は, 福に を宣 ベ, ft つ その 儀式 を 執り行う ために は, 啓示と, 権威 ある 者の 按手に よ り, 神に よりて 其 任に ぜ爿 されねば な らぬ こと を 信ず。」
大 管長になる 人の/ ィし は, 実際に は 十二使徒 定員 会の 一員に /ィ され, 聖 任と 任命 を 受けた と きに 始まる。
そのよ う な: f つ i による しつ ま り 主 の' ふ: 感 によって 大 管長 会の 鍵 を 持つ 者と され, 次に 同じ 権能に よって 按 手聖 任, 任命され る/ ィしを 通じて, 各 使徒 は 使徒 職 を 持つ 1 2 人の 神権'; ir 員 会に 加わる ので ある。 こ う して 大 管長の 手で? ^ 任された
すべての 使徒 は 乇 された 他の 使徒
たちと 共に 神の 王 W の 細 を 握り, 教 会の あらゆる 職, もしも 管理者から されて 教会員の 集まりで 支^の や 手 を 受けた 場 台に は 全 教会 を 管理す る 職 を も 持つ に 足る 神 権 の 権能 を受 ける ので ある。
予 a 者ジ ヨセフ 'ス ミス は, 「大 長が いなければ 人 管長 会 はない」 と 述べて いる。 人 管 K が 死ぬ と 即(4< に 次 も'/: に あ る 十二使徒'; drU 会が 理体 となり, 大管 S が に H リ任 と 支持 を 受ける まで, I- 二 使徒 定員 会 会長 が 自動的に 大 管長 代行と なる。
31
この 神権 時代の 初期に は, 事情が あって, 新しい 組織が できる まで 十
二 使徒 評議員 会が 3 年の 問 教会 を 管 理 した ことがある。 しかし 教会が 安 定 してから は, 大 管長の 死後す ぐに 新 し t 、大 管長 会が 組織 される ように なった。
大 管長 会 と 十二使徒 定員 会 は 通常 全員が, 先 ほどの ように 「予言者, 聖 見者に して 啓示 を 受ける 者」 とし て 支持され る。 これ は, 選ばれて 聖 任された 使徒の だれも 力;, 啓示から 引用 すれば, 「当 団体 (十二使徒 定員 会 全体と 解釈され ている) によりて 選 ばれ その 職に 任命 し て 按手 聖任 さ れ, 教会員の 信任と 信仰と 祈りに よ りて 支持」 された 場合に は, 教会 を 管理す る ことができる (教義と 聖約 107: 22 参照), また その 場合, 管理 する の は 先任 使徒すな わ ち 十二使徒 '4r 員 会の 会長で あると いう 意味で あ
る c
先任の 十二使徒 以外の 人が 大 管長 になる こと は あるの かとい う 質問 を ときどき 聞く。 そのこと について 考 えて みれば, 主が 十二使徒 定員 会 会 長に 彼 以外の 人 を 選ぶ と 啓示 された ときに のみ, 先任 使徒 以外の 人が 大 管長に なれる と考えられる。
主 はこの 神権 時代 初の 予言者に, あらかじめ 定められ ている 地上の 神 の 王 M の 組織 を 通して, 教会の 指導 者の 職 を はじめと する 秩序 正しい 計 画 を 啓示され た。 それに ffl する 話の よりどころと して, 主 は 次の よ うに 語って おられる。
「メ ルケゼデク^l|31tを有てる者の中 三人の 管 a 大祭司 あり, 当 団体に よ りて 選ばれ, その 職に 任命して 按手 聖 任され, 教会員の 信任 と 信仰 と 祈 りに よりて 支持せられ, 当 教会の 大 管長 会なる 定員 会 を 構成す。 十二 人 の 巡 M 評議員 は 召 されて 十二使徒 と なる, すなわち 全世界に 於け る キリ ス 卜の 御名の 特別の 証人と なるべき
者な り。 すなわち, かくの 如く 彼ら は 当 教会に 於け る 他の 職員と は, そ の 天職に 就ける 義務 を 異にす。 また この 十二 人 は, 前記の 三人の 管理 大 祭司と 権威と 権能と を 同じく せる 定
員 会 を 構成す。」 (教義と 聖約 107: 22 一 24)
この 事柄に ついて, 第 4 代大 管長 ウィルフォード • ウッドラフ は, 当 時 十二使徒であった ヒーバー' J • グ ラン ト大 管長に あてた 1857 年 3 月 28 日付の 手紙の 中で, 彼の 考え を 語 つてい るが, それ を 引用して みょう。
「 …… 教会の 大 管長が 死んだ と き, 教会の 管理 役員 はだれ なの だろ う か。 それ は, (ほかならぬ 神の 啓示に よつ て聖 任され, 組織され た) 十二使徒 定員 会で ある。 では その 十二使徒が 教会 を 管理 するとして, 教会の 大管 長 はだれ なのだろう 力、。 それ は 十二 使徒 定員 会の 会長で ある。 彼 は 十二 使徒 を 管理しながら, 大 管長 会が 組 織され ると きに ふたりの 副 管長 を 管 理す るのと まったく 同じに, 教会の 大 管長 を 務める ので ある。」 そして こ の 原則 は, 教会が 糸 M されて 以来 140 年 を 経た 今 も 実践され ている。 ゥッ
ドラフ 大 管長 はさ ら にこ う 続けて 語 る。
「こと 私に ffl する 限り, …… 教会 歴 史 にある 通り, 教会の 設立 以来 使徒 たちが たどって きた 道, あるいは 過 去 57 年間 全能の 神の 霊感に よって 使 徒た ち が 歩んで きた 道から それる よ うな 挙手 をしたり, そのような 行動 をと る 前に, まず この 教会の 組織 以 来 57 年間 同じ 経路で 霊感に よって 教 会 を 導いて こられた 同じ 神から, 啓 示 をいた だく こと が 必要な ので あ る。」
ジ ヨセフ' フィールディング' ス
ミ スが 召されて 大 管長に なった こと に は 特別な 意義が ある。 彼の 祖父に あたる ハイラム' スミ ス に関して, 主 は 予言者 ジ ヨセフ • ス ミス に 次の
よ うな 啓示 を 与えられた。 「また, われ 誠に 汝ら に告 ぐ, ……
わが 僕 ハイ ラ ム 彼の 父に よ り 祝福に
よ り また 当然の 権利に よ り 任命 せら れ し 祝福 師た る 神権 者の 職に 就かん。 …… かく して, 今後 彼 はわが 民 こ と ごと く の 頭上に 授く る 祝福 師の 祝福 につける 鍵 を 保ち, 何人 にても 彼の 祝福す る 者 は 祝福せられ, 彼の till う 者は附 われ, かくて 何 にても 彼の こ の 世に 於て 結ぶ ところ は 天に 於て も 結ばれ, 彼の この 世に 於て 解く とこ ろ は 天に 於ても 解かる るな り。」 (教 義と聖 約 124 : 91-93)
ハイ ラムに は, この 職に 力!] えて, 彼の あと に 続 く 教会の どの 祝福 師に も 与えられなかった もう ひとつの 祝 福が 与えられた。
「されば 今後 われ 彼 を 任命して, わ が僕ジ ヨセフと 同様に わが 教会の 予 言 者, 聖 見者, 啓示 を受く る 者と な す。 こ は 彼が また わが 僕ジ ヨセフと 一致して 働く ためにして, かくて わ が僕ジ ヨセフの 助言 を 受け, また ジ ヨセフ は 彼に 諸々 の 鍵 を 示さん。 こ の 鍵に よ りて 彼 は 願わば すなわち 受 けて, 嘗て わが 僕な りし オリヴ ァ • カウ ドリ に 与えられ たる と 同じ 祝福 と 栄と誉 と 神権と 神権の 賜と を その 頭に 受けん。 こ はわが 僕 ハイラムの わが これよ り 彼に 示す と ころ を 証す る ためにして, かく して その 名 は 子 孫 代 々永遠に 覚えられて 誉 となら ん。」 (教義と 聖約 124 : 94 — 96)
彼の 息子 ジ ヨセフ • F • ス ミス は, 1901 年から 1918 年まで 第 6 代大 管長 を 務めた。 ジ ヨセフ 'F 'ス ミス 大 管長 は 少年 時代に ミズーリ ゃィ リノ ィ で 苦しい 経験 をした。 父 ヘイ ラム- ス ミ スが 叔父の 予言者 ジ ヨセフ 'ス i ス と共に カー セージで 暴徒た ちに 殺された とき, ジ ヨセフ • F • スミ スは 9 歳の 少年ながら 牛車 を 御して ミ ズー リ 川 を 渡り 平原 を 越えて, 1848 年ソ ル卜 レー ク 盆地に 着いた。
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1852 年に 母 を 亡く して 2 年後, 彼 は わずか 15 歳で ハ ヮ ィ 諸島の 伝道に 旅 立った。
これが ジ ヨセフ' フィー ルディン ゲ' スミ スを 生み出した ハイ ラム - ス ミ スの 家系で ある。 私 は 天 も き よ うの 日 を 喜んでい ると 確信す る。 こ の 立派な 息子 や 孫の 在任中に は, す でに 逝った 人々 が, 高齢に も かかわ らず 主から 重大な 責任 を 賜って いる 自分の 子孫の 近く にやって くる こと であろう。 彼らが この 場に 同席して いると しても, 私に は 少しも 不思議 でない。
私 は 先 ほどの 予言 を 引用して, '、 ィ ラム. スミ スの 後裔に あたる 人々 力;', 自分た ちに 脈々 と 流れて いる こ の 神権 時代の 予言者た ちの 高貴な 血 統に 忠実で あるよう, 心 を 尽くして 努力す るよ う に 申 し 上げて きた。
きょうの 出来事 を 通じて, 私 は 今 ま での 人生 を 非常に 厳肅 な 思 L 、 で 振 り 返って いる。 神殿の 一室で 聖 なる 使徒 職 を 持つ 13 人の 兄弟た ちと 共に, 新 し !■ 、大 管長 会の 選任 に 立ち会つ た あの 素晴らしい 霊的な 経験 以来, こ こ 2 力 月 ほどの 間に, 私 は 今までの 生涯 を 思い返し, 将来の 時代 を 考え てきた。
その 間中, 私 は 自分の 限界 を 思い 知らされ, 自分の 力 を 越えた 力と, 人の 知恵 を 越えた 知恵と, 今 私 を 待 つてい る 問題に ついての 霊の 眼 を, かってない ほどに 天父なる 全能の 神 によ' り 頼んで いる 自分 を 知った ので ある。 大 管長 会と 十二使徒 定員 会に よって 選ばれ, 今 教会の 神権 者た ち とこの タパ クルに 集まった 教会員と こ こ 以外の 場所で この 聖 会に 参加し ている 信仰 篤い 大勢の 人々 から 支持 を 受けた この 職 も, 神の 助けが あつ てこ そ, 私に 果たし 得る ので ある。
私 は 今に 先立つ こ の 神権 時代の 偉
大な 指導者た ち を 思い起こして, 自 分の 無力 さに 身が 震える 思いで ある。 そのこと を 考えて, 長い間 BH 想し, 祈った 結果, 私 は 自分の ような 者が 過去の 偉人に 取って 変わる こ と はで きないと いう 現実 を はっきり 知った。
このよ うな 職に 召された 私たち は, 時の 経過が もたら した 空席 を 埋める に過ぎないの である。 過去の 偉大な 指導者た ち は 永遠の 世に あって な お も その 地位に あり, 彼らが 仕えた 多 く の 人々 の 胸に 今 も 生きて いる。
古代の 予言者 ニーフ アイが 父リ 一 ハイから, 旧約の 予言者が 記した 聖 典 を 含む 今 は 私たちに 周知の あの 真 鍮版を 取り返す という 難しい 仕事 を 与えられた ときの 心境が, 私に は 前 にも ま してよ く わかる。
ニーフ アイ は その 経験 を 次の よ う に 記して いる。 「 •••••• 私 ニーフ アイ は
た だ 一人 都の 中へ 忍 びこんで レー バ ンの 家の 方へ 進んで 行った。 私 は 何 をせ ねばならぬ のか, 前以 つて それ を 知らずに ただ ひとすじに 『みた ま』 に 導かれて 行った。」 (I ニーフ アイ 4 : 5 - 6 )
また, 私 はこれ までにな く, 痛切 な この 嘆願の 祈 り に 共感す るので あ る。
「取り巻く 闇の 中 を みちびき 闇 を 遠く 来し われ たすけた まえ 足 もと を 守りた まえ 遙 かまでと は 願わず」
(讃美歌 119 番) この こと を, 私 は 今 非常に 痛感し いる。
私 は, 古代の ニーフ アイの ように, 「前以 つて それら を 知ら ずに た だ ひ とす じに 『みたま』 に 導かれて」 行 かな ければ ならない こと が 多 いと 思 う。 たとえ 闇の 深い 夜で あろうと,
「遙 かまでと は 願わず, 今の ただ 一 歩 を。」
私 は 忠実な 聖徒で ある 皆 さまが た に 身 も 心 も 霊 も 尽く して 務めたい と 心から 思って いる。 し 力' も, あのべ ンジャ ミン 王が 教えた ように, たと え 自 分の 全 時間 を 費して あなたがた のために 務めた としても, 「これ を自 慢 したい …… ので はない。 私が 務め た の は た だ 神の た め に務 め た だ け で ある」 (モー サャ 2 : 16) という こと をよ く よ く 承知して いる。
忠実な 兄弟 姉妹, 至高なる 神の 聖 徒で ある あなたがたに 仕える と きに, 私 も 「ただ 神の ために 務めた だけで ある」 ことが わかる ように, 一心に 祈りたい。
これ ま で 同様み た ま が 心に 証す る まま, 私の 証 を 述べたい と 思う。 世 の 救い主, 造り 主で ある 主の 噴 罪に よって 人類 を 噴い 得る まことの 救い の 教えが, この 末の 時代に まことの イエス. キリス 卜 教会に 託されて い る。 主 イエス • キリスト は 生きて お られ, きょ う 予言者, 聖 見者, 啓示 を 受ける 者, 私たちの 大 管長と して 支持され た 人 を 通じて, 聖 なるみ 座 からこの 地上の 神の 王国 を 管理され
る 0
私 はこの こと をへ りく だって 証し, 教会 内に 不安 を 生じる よう な 状態 は 一掃す るよう に, 皆 さまが たの 信仰 と 誠実な 支持と をお 願いす る。 私た ちに これまで 同様 皆 さまが たの 信仰 と 祈りに よる 支持 を 寄せら れんこと を。 また 私たち は 改めて, 皆 さまが た を 至高なる 神に 対して 忠実な 聖徒 たちと して 支持す る こと を 誓う。 こ れら のこと をき よう 謙 通に, そして 謹んで 証 を 述べる 次 3i である。 主ィ エス 'キリスト のみ 名に よって, ァ
ーメン 0
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この 麗しい 安息日の 朝, ここに 集 つた 皆様と 放送 を 聞いて おられる 方 方に, 大 管長 会と 教会 幹部 を 代表し て御挨 俊で きる こと は 特権で あり 喜 びで ある。
先週, 私たち は 主なる 救い主の 復 活を 祝った。 復活 は 主 を 受け入れて 戒め を 守ろう とする 人々 に 希望と 約 束 を もたらす ものである。 主 は 言わ れた。
「わたしが きたの は, 羊に 命 を 得さ せ, 豊かに 得させる ためで ある。」
(ヨハネ 10 : 10)
「わたし はよ みがえ りで あり, 命で ある。 わたし を 信じる 者 は, たとい 死んでも 生きる。 また, 生きて いて, わたし を 信 じる 者 は いつまでも 死な
ない。」 (ヨハネ 11 : 25—26)
主 はさら に, 確かな 約束の 言葉 を 私たちに 与えて おられる。
「これ わが 業に して わが 栄光, すな わち 人 に 不死 不滅 と 永遠の 生命と を も た ら すな り。」 (モー セ 1 : 39)
主 は 私たちの ために 命 を 捧げ, ま た 私たちが 主の 戒め を 守る 者に 約束 された 祝福に あずかる こ とがで きる よ う に ひとつの 計画 を 与えられた。 この 末日に 主 は 次の よ う に 説明して おられる。
「そもそも 創世の 以前よ り 天に 於て
定められ たる 一つの 変ら ざる 律法 あ りて, あらゆる 祝福 はこれ に 基くな り。 すなわち, われら 何 にても 神よ り 祝福 を受 くる 時 は, この 祝福の 基 く 律法に 従う によ り て 然るな り 。」 (教義と 聖約 130 : 20-22) 私た ち は だれで も 現在の 社会 情勢 に 関心 を 持ち, 自分の 生活 や 地域 社 会 や 世界の 国々 に 影響を及ぼす 様々 の 問題に 対して 答え を 捜して いる。 世の 大勢が 無法と 反抗に 傾いて いる の は 事実 だが, それ を 日常の 話題 や マスコミ に 取り上げ 過ぎる のに はへ きえき している。 私たち はもつ と 積 極 的な 態度で 福音 を 実践し, 教える ことに 努力 を 傾注し, それによ つて 原因 を 除き, 状態 を 改善すべき であ る。 世に 反抗して いる 人 も 含めて 自 分に 正 I 衷な人 は 皆, 自分が 究極 的に 求めて いるもの は 幸福で あり, より 良い 人生で ある こ と を 認めなければ ならない。
これ を 心に 留めて, 私 は 「従順の 恵み」 という テーマで 話 を 進めて 行 きたいと 思う。 話の 間 主の みたまが あり, 私たち を 導いて くれる ように 祈りたい。 さて, サム エルが サ ウル に 言った 言葉 を 思い出して みよ う 。 「従う こと は 犠牲に まさ り, 聞く こ と は 雄 羊の 脂肪に まさる。」 (サム ェ
ル上 15 : 22) そして 次の 言葉 も 思い 出して いただきたい。 「キリストの 嘖 罪に よ り, すべての 人類 は, 福音の おきてと 儀式と を 守る ことによ りて 救われ 得る。」 (信仰箇条 第 3 条)
つい 先日の こと, 私 は ひとりの 青 年と 話した。 彼 は, 「ああしろ, こ う しろと 言われる のに あきあき してい るので す。 自分の したい こと は 自分 で 決める 自由が 欲しいです」 と 言つ ていた。
私 は それにこう 答えた。 「人の 権利 や 自由 を 侵害したり 強制した り しな い 限り, あなた は 何 をしょう と 自由 です よ。 でも 自分の 行動に 責任 を 持 つて, その 結果 をい さ ぎよ く 引き 受 ける 心構えが 必要です。」
私 は 主が 人に 授けられた 一番の 賜 は 次の 3 つになる と 説明した。 第 1 に 不死 不滅 と 永遠の 生命 を 受ける 権 利, 第二に それ を 受ける ための 計画, 第三 は 自分の したい こと を 選ぶ 自由 意志。 主 は, 地上に あって 最高の 喜 びと 幸せ を 与え, 永遠の 生命 を 受け る 用意 を させて くれる 計画 を 私たち に 与えられた。 永遠の 生命 を 受ける ために 私たちが しな けれ ば ならない こと は, 律法に 従い, 主の 戒め を 守 る ことで ある。
私 は その 禽: 年に, 地位 や 学識 や 気
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持ちに かかわ りなく どんな 人に も あ て はまる 物理 や 自然の 不変の 法則に ついて 考えて みょうと 提案した。 わ ざと にしても 偶然に しても, もし 人 が 熱い ス トー ブゃ 高圧線に 触れた と したら, 皮膚 は 焼けた だれて しまう。 また, たとえ 人 を 救う にしても, 猛 ス ピー ドで 走って いる 車の 前に 飛び 出したら, けが をす るか 死ぬ かで あ る。 だれで あろうと, どんなつ もり であろうと, 人が このような 法則 を 免れ 得ない こ と を 示す 例 は 数 限 り な く ある。
自然の 法則 を 理解し, 尊重 すれば それ を 良い こ と に 使う こ とがで きる。 無視 すれば しつ ぺが えし を 受け, 従 えば 祝福と なる ので ある。 太陽 は 毎 朝 決まった 時刻に 昇り, 実体 は 完全 に 知られて いないながら も 電気 は 同 じ 条件 下で 同じ 反応 を 示し, ある 年 の ある 日の ある 決まった 時刻に 日食 が 起きる。 自然の 法則 は 不変 だから である。 自然の 法則が 頼 り にな る こ と を 知ってい るの は 何と 幸せな こと か。 いろいろな 分野の 技術者, 医者, 科学者が 自然の 法則 を 頼 り にで きず に 無視して いると ころ を 想像して み ていた だきたい。 人 は 自分の 仕事に 影響 ある 自 然の 法則 をない がしろ に して 成功 はない し, 事実 その 結果 は 悲惨で ある。
神の 律法, 自然の 法則, 国の 律法 はみ な 人の ため, 人の 慰め, 喜び, 安全, 福祉の ために ある。 この 律法 や 法則 を 学んで それに 従い, 戒め を
守って 恩恵 を 受ける かどう か を 決め るの は 個人の 問題で ある。 きょうの 私の 話の 目的 は, 律法 や 法則が 私た ちの ために あり, 成功し, 幸福に な るに は 自分の 行動に 関係す る 律法 や 規則 に 従わなければ ならない こと を お 話す る ことで ある。 これらの 律法, 法則 は 私 たちの 行動 次第 で 喜 び と 幸 福に も, また 悲しみと 災いに もなる ので ある。
月 に 着陸 した あの アポ a 1 1 号が 飛 行に 成功す るに は, 徴 細に わたって あらゆる 自然の 法則に 従 う 必要が あ つた。 準備に あたった 人々 は 物理 や 化学の 法則, 重力 や 飛行 に関するす ベての 法則 を 理解し, 活用し なけれ ばなら なかった。 彼ら は それらの 法 則 を かせ や 障害と 考える ので は な し に, むしろ 計画 遂行の ための 手段と 考えた。 そして, 成功の 鍵 を 握る 法 則 をす ベて 学び, それに 従う か, 応 用して 自分た ちの 使命 を 果たそう と した。
これ は 人生に ついても 真理で ある。 音楽家 や スポーツマンに なること も, 学位 を 取ったり 価値 ある こと を 達成 する の も, まず 目標 を 定めて, した いこと や 実現 させたい こと を 決め, それから 成功に つながる 法則 を 見 極 め, 次に 達成 を 目指して 自分 を 律す る ことで ある。 このように すれば, 成功に 向かって 進む こ とがで きる。 し 力' し, いつも 律法に 逆らい, 従う こと を 拒否して, 要求され ている こ とに 不平 を 言う 人 は, 不満が つのり, 反抗的に なって, 結局 は 目的が 達成 できない。
律法 や 法則 を 破らな いまでも, 尊 重して 用いない と 身の 破滅 を 招く と も 言われて いる。 律法 は 絶えず 適用 されて いて, 私たちの 行動が 結果 を 決める。 私たち は 自分 を 律す る 用意 がな く, 自分の 一番した いこと をし てし まう ことが 多い。
国の 法律 は 政府が 国民の 安寧と 福 利の ために 決めた ものである。 飲酒 運耘の 規制 や 交通規則 や 土地 使用 制 限 法 や 建築 法規な ど を 考えて みてい ただきたい。 税金に よって 道路 や 学 校 や 公共 設備が できて おり, それ も み な 国民の 便宜 と 生活 向上の た め で ある。
すべての 人が 律法 や 法則 は 人 を 益 する ものと 考えて 尊重し, 従うなら ば, それ は 私たちの 健康 や 福祉 や 幸
福に 大きく 貢献す る。 律法 は 大切で ある。 法律 や 規則の ない 町 や 社会 や 国 を 想像して いただきたい。 私たち が 法律 を 侮って 従わない と, それに つれて 私たちの 自由 は 失われ, 他人 の 自由 を も 奪って 世の中 は 無秩序と 化すので ある。 もし 現行の 法律が 悪 いものであるなら, 人々 は 正しい 合 法的な 手段に よ り 政府 を 動かして 法 律 を 改善, 変更させる べきで, 法 は 法と して 従わなければ ならない。
おおかたの 私たち は, 人生に おい て 自分が どんな 人生, どんな 環境 を 望む か 自分で 決定す る。 今 も 世界に は, 人肉 を 食い, 動物 的な 本能 を 唯 一の 規則と して ジ ヤン ゲルの 規律に 支配され ている 人種が ある。 私たち がその よ う な 人生 を 望む ので あれば それ も 可能で ある。 しかし, 私たち が 存在す る 目的の ひとつ は, そのよ うな 動物 的 本能 を 超越して, 人と 人 との 接触 を 求められる 社会に あって 高度な 水準の 人間に 到達す る ことで ある。
そのために, 父で あり 創造主で あ る 神と 御子 ィ ヱ ス • キリスト は 私た ちの 幸福と 成功 を 望んで, お 互いの 人間関係 と 社会 そのもの を 向上 させ る 律法 を 与えられた。 もしもす ベて の 人が 律法に 従ったならば, 現在 世 界に はびこって いるよ う な 不穏な 状 態 はなくな り, ィ |': たち も 主張と 懸
け 離れた 現在の M: 会に 対して 抗議す る 必要 も 理由 も な く なる わけで ある。
ここで, モー セの 時代と 同様 現代 にも あてはまり, キリスト 御自身 も そのこと を 教えられた 十戒に ついて 少し 考えて みたい。
「あなた は 盗んで はならない。 殺し たり, 隣人の もの を むさぼって はな ら ない。 また, S 淫 した り , 隣人に ついて 偽証して はならない」 という 戒めに だれもが 従ったならば, 家 も 財産 も 気にせずに 外出し, いつでも どこへ でも 出歩く ことができ, どろ
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ぼうや 人殺しの 心配 をせ ずに 安心し て 家に いられる ので ある。
欲ば り や 陰口 や 姦淫な どのない 世 の 中に 住 む 幸せ を 想像して いた だ き たい。 そこ は 全員が 律法に 従って 生 活 する 社会で ある。 互いに 助け あい 支え あう 平和で 幸福な 生活に 加えて, 法律の 施行 や 犯罪 防止に 使う はずの 費用 を 全部, 貧困の 救済 や 衛生 施設, 教育 施設 その他 有益な 目的に 振り向 ける ことができ るので ある。 戒め を 守る こと によ つて 私たちが この 世で 受ける 恵みに は 限りがない。
もう ひとつ, 私たちの 生活に 非常 に 大切な 戒め は, 知恵の 言葉と 呼ば れる 主の 健康の 律法で, これ は あら ゆる 家庭で 言葉と 模範に よって 教え られ るべき である。 知恵の 言葉 は, タバコ や アルコール その他, 体に 有
害な もの を 取らない よ う にと 警告し ている。 これに は 幻覚剤の 使用 も 含 まれる と 思う。
この 律法 は 百年 も 前に 主から 与え られ たの だが, 科学者の 実験 や 体験 によって, これらの ものが 体に 有害 であ る ばか り か 社会 を も 脅かす も の である と 証明され るよう になる まで, 一般に は 無視され ていた。 今でも 大 勢の 人が この 律法に 頓着せ ず, 危機 を 招く 状態に ある。 これらの もの を 取った 結果 は 家庭の 崩壊 や 心身の 病 気 や 財産 喪失, 悲惨な 状態, の たれ 死にな ど, 不幸 は 枚挙に いとまが な い。 それ はみ な, 立法, 行政 関係者 を 初めと して 社会 全体が 深刻に 憂え ている 問題で ある。 先日の 夜, 新聞 を 読んで いて こんな 記事が 目に とま つた。
自動車に よ る 死亡 事故が 1969 年の 2 倍で, 自動車事故の 26 パーセント が 酒 酔い 運転だった という。
また, さる 有名な テレビ 俳優が 肺
ガンに なり, 45 歳で 死んだ。 niBi ノ
ィ ローゼ」 にか かるよりも タバコ を 吸って いた 方が いいと 公言して いた
彼が, ガン だと 知って 初めて タバコ を やめた のだった。
ある ホテ ル 火事で は タバコ の不始 末が 原因で 14 人の 死者 を 出し, また 別の 建物 は タバコの せいで 1 万 ドル 相当 を 灰に したと いう。
マ リ つ アナの 害 は 今や 深刻で, 幻 覚剤 は 若者た ち をむ しばんで いる。
現代 社会に 多くの 悲劇 を 起こ して いる これらの 有害 物 を 制限す る 力、 さらに, 可能であれば 根絶す る こと は, 私たち 自身と 若者た ちと, 国家 の 将来に 懸かって いる。 主が その 戒 め を 守る すべての 人に 与えられた 素 晴ら しい 約束に 耳 を 傾けて みよ う 。
「およそ これらの 言葉 を 憶えて 守り 且つ 行い, この 誡 命に 従って 歩む す ベての 聖徒ら は, そのへ そに 健康 を 受け その 骨に 髄を 受けん。 また 智恵 と 知識の 大 いなる 宝 まことに 秘れた る 宝 を 見出さん。 而 して 走れ ども 疲 れず, 歩け ども 気 を 失う ことなから ん。 主なる われ 彼らに 一つの 約束 を 与う。 すなわち, さつりくの 天使 は イスラエルの 小児た ちが 如く, 彼ら
を 過ぎ 越して 屠る こ とな かるべ し。」 (教義と 聖約 89 : 18-21)
これ 以上の 祝福が 考えられる だろ うか。
も う ひとつ 非常に 大切な 戒め を 引 用したい。
「安息日 を 覚えて, これ を聖 とせよ。 六日の あいだ 働いて あなたの すべて の わざ をせ よ。 七日 目 は あなたの 神, 主の 安息で あるから, なんの わざ を もして はならない。」 (出 エジプト 20 : 8—10)
さ らに主 は 言われた。
「汝 なおさら 充分に 世の 汚れに 染ま ざる 様 祈りの 家に 行きて わが 聖日に 汝の聖 式 を 棒ぐべし。」 (教義と 聖約 59 : 9 )
反対意見 は 多い かも しれない が, これ は 神の 律法で あり, 宗教 的で, また それ故に 道徳的な 律法で ある。
従えば ほかから は 得られない 様々 な 祝福 を 受け, どの 律法 もそう だが, 従わなければ 罪 を 受ける。
安息日 を聖く 守る こと は, 礼拝と 勉強に よって 福音の 教え を 理解し, 私たちの 永遠の 将来に とって 大切な 神 を 知る 機会になる。
主 はこ う 言われた。
「永遠の 命と は, 唯一の, まことの 神で います あなたと, また, あなた がっか わされた ィ エス • キ リストと を 知る ことであります。」 (ヨハネ 17 : 3 )
たし 力、 に 7 日に 一度 は 造り 主に 思 い を はせ, 霊的な 自分 を 養い, 神へ の 従順 を 学び, その上 子供た ちに 敬 虔と 従順 を 教える ことができる し, そうする 必要が ある と 思う。 人生で 学ぶ 最大の 教訓の ひとつ は, 「人 はパ ン だけで 生きる もので はなく, 神の 口から 出る 一 3 —つの 言で 生きる も ので ある」 (マ タイ 4:4) という こ とで ある。
ある 人が 賢明に も 述べて いる。 「神 の 律法 を, 意の ままに 適用で きる 便 利な 力と みなす 者に 災い あれ。 己の 富と 装備と 地位 を 信じて おごれる 人 間, 階級, 国家に 災い あれ。」
神の 律法 を 無視して は どんな 国 も 国家の 連帯 も 長く は 続かず, 文明 も やがて は 滅びる。 主 はこう 命じられ た。
「まず 神の 国と 神の 義とを 求めな さ い。 そうすれば, これらの もの は, すべて 添えて 与えられる であろ う。」 (マ タイ 6 : 33) これらの もの と は, 私たちの ためになる すべての ものである。
物質的な 欲望 や 楽しみ を 追い求め る 限り, 安息日 を聖く 守る こと も, それによ つて 祝福 を 受ける こと もで きない。 実にこう 言われて いる 通り である。 「物質的な ものに は 沈んだ 霊 を 奮起させる 力 はない。 この 世の 富 でう ち ひし がれた 心 をい やすこ と は
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できず, 全世界の 知恵 を 集めた とこ ろで 気ままな 心 を 善に 向かわせる こ と はでき ない。」
祈 り の 家に 行って 安息日 を聖 く す る こと は 非常に 大切 だが, 霊的な こ と を 教える 場 は 教会 だけに 任されて いるので はない。 両親に は, 家庭で 神の 律法 を 教える という 第一の 大切 な 責任が ある。 主 はこう 言われた。
「また, シ オン または 糸!^ せられた る シ オンの ステーキ 部内に て 子供 を 有する 両親 あらば, その子 供 八才の 時, 悔 改め, 生ける 神の 子キ リ ス ト の 信仰, パブ テス マと 按手に よる 聖 霊の 賜な どの 教義 を 教えて 理解せ し めざれば, 罪 その 両親の 頭に 留 るべ し。
また 両親 は その子 供た ちに 祈る こ とと, 主の 前に 正しく 歩む こと を教 えざる ベから ず。」 (教義と 聖約 68: 25, 28)
これ は, 主 を 愛し, 敬い, 従えと いう 戒め を 守る という ことで ある。
子供に 戒め を 守って 神の 前に 正し く 歩む こと を 教える に は, 両親が 生 き た 模範に な る ことで ある。 私たち は どんな 律法で あっても それ を 破つ ていれば 必ず 罰 を 受け, さら には子 供た ちに 対して 自分 を 尊敬して 従う
ようにと も, 律法 を 大切に して 従う ようにと も 言う ことができない。 ま た, 私たちが 主の 教え や 戒めに 疑問 を 抱いて いれば, 子供た ち はどうし て 戒め を 守らなければ ならない か, 大きな 疑問 を 持つ に違いない。 私た ち は 偽善者で はいられない。 ある こ と を 教えたり 言った り しながら する ことが 違って いて, 子供に 次の よう な 戒め を 守って 欲しい と 思う の は 虫 がよ すぎる。 「あなたの 父と 母 を 敬え。 これ は, あなたの 神, 主が 賜わる 地 で, あな た が 長 く 生きる ためで あ る。」 (出 ェジプ 卜 20 : 12)
従順と, 律法 を 尊重し, 守る こと や 神 を 信じて 戒めに 従う こ と を 教わ つた子 供 は, 成長す るに 従って 自分 の 両親 を 敬うよ う にな り , 両親の 誇 りと なって, 自分の 問題 を 立派に 解 決し, 人生に 一層の 成功と 幸せ を 見 いだし, 現代の 悩みの種 となって い る 数々 の 問題の 解決に 大き く 貢献す る ことであろう。 子供た ちが やがて 将来, 指導者と なり その 責任 を 通じ て 世の中に 平安と 義を もたらす よ う に, 今, 従順に よって その 用意 を さ せる ことが, 両親の 責任で ある。
主の みこ ころ は 次の 言葉に 要約 さ れ ている と 思う。
「『心 をつ く し, 精神 をつ く し, 思 い をつ くして, 主なる あなたの 神 を 愛せよ』。 これが いちばん 大切な, 第 一の いましめ である。 第二 もこれ と 同様で ある, 『自分 を 愛する ように あ なた の 隣り 人 を 愛せよ』。 これらの 二 つのい ましめ に, 律法 全体と 予言者 とが, かかって いる。」 (マ タイ 22 : 37—40) ,
私たち は 主 を 愛するならば 主の 戒 め を 守る はずで あり, 隣人 を 愛する な ら ば 地上 は 理想郷 となる はずで あ る。
主 はさ ら にこう 約束され た。
「正しき 業 を 行う 者 はよ き 報い を 得, すなわち この 世に 在りて は 平和 を 得, 次の 世に 在 りて は 永遠の 生命 を 得 ん。」 (教義と 聖約 59 : 23)
神 を 父と して, また 御子 ィヱス • キリスト を 世の 救い主と して 受け 入 れ, その 戒め を 守るならば, 私たち は 地上で 大きな 喜び を 得, 次の 世で は 永遠の 生命 を 受ける こと を, 皆様 に 証したい。 それが 私たちす ベての 祝福と なる よう, イエス' キリスト のみ 名に よ り, へりくだ つて^る 次
である。 アーメン。
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神の 存在
十二使徒 評議員 会 会 i
ハヮー ド • W • ハン タ一
美しい 世界に 囲まれた 人生と は, 何と 素晴らし いもので あろ う か。 美 は 山に, 森に, 湖に ある。 寄せて は かえす 海の 波に も, わた' 丄: の 広がる やに も, 太陽の 輝く 中に も, 雨の 中 にも, 朝, 昼, 晩に も, 美し さが あ る。 四 の 移ろいの 中で, 生きと し 生ける すべての ものが 新たな 生命の 息吹き を 告げる 春に, 光り輝く 夏に, 私たち は 美 を 見る。 白の 毛布に 覆わ れた 静かな 冬の 前に は, 秋が 満鑑飾 の 彩りで 先立って 行く。 探し さえす れば, どこに でも 美し さは ある。
'j-:'tii' に は; 確な 秩序が ある こ と を 私たち は 知っている。 昼の 後に は 夜 が 来 る 。 潮 は li 則 正 しく 満ちて は 引 き, 月 はは 3 期 を 守って 満ち欠けし, 自然に 呼 して 四 が 巡る。 空の 星 は 順 を 待って 確実に 現われ, 惑星と 衛星 は 太陽と ffl 係しつつ 止 確に 動く。 生物学者 は動航 物の 生命に 驚異と 美 を 見いだ し, 化学者 は 地上の 元素に 神秘 を 兄る。 だが 科学の 知識の 有無 を 問わず, あらゆる 人 は, 全 自然が 微細 にわた つ て 精密 さ を 維持 してい る この 大' t: 宙に 気付いて いる。
天地の 現 を 観察す ると, それが ある 大き な 原因に 従 つ た 結果で あ る という 結論に 到達せ ざ る を 得ない。 設計者な しに 設計図 はなく, lit 築 家
なしに 建物 はでき ない。 あらゆる 結 果には 原因が あるから である。 緻密 な 秩序 を もった 宇宙に は, それ を 治 める 手が あるに 違いない。 私たち は 至高 者の 存在 を 認めずに はいられな いので はなかろう 力 >。 無数の 民が そ の 確信 を 抱いて いる。
人の 心が 神 を 造り 出した の だろ う か, それとも 神が 人 を 造った の だろ う 力、。 人 は 数々 の 大切な 疑問に 悩む 力:, すべてに 先立つ 第一の 疑問 は, 神 は 存在す るか 否かで ある。 この 疑 問の 解決に, 科学 研究の 方法 は 通用 しない。 物質の 領域で はなく, 霊の 領域の 問題 だからで ある。
神の 存在 を 知る に は, 神が そのた めに/おされた 方法に 従 わな けれ ば な ら ない。 その 道 は 登り 坂で, 信仰と 努力 を 要する, 決して なまやさしく ない 道で ある。 そのために, 多くの 人 は 神の 存在 を 確かめる 仕事に 取り 組もうと しない。 そ う して ある 者 は 易き にっき, 神の 存在 を 否定したり, 懐疑主義者の あいま いな 道 を 安 ifi: に 歩んで いる。 無神論者, 不信心 者, 'ぶ、: 教の 自由 思想家, 懐疑論 者, 不可 知 論者が それで ある。
大概の 研究で は, その 主題の 歴史 やすでに 知られて いる 事実 を 調べる ものである。 そこで 私たち は 歴史 か
ら 始めて, 最もよ く 知られて いる S 代の 記録に 目 を 向ければ, それに は, 「はじめに 神 は 天と地と を 創造され た」 (創世 1 : 1 ) と 記されて いる。 この a 葉 は, 地球 は 偶然 に できた の でもなければ, たまたま 何 かの 事件 があって できた ので もな く, 至高 者 が ある 大切な 目的 を もって そのため に 造られた という 創造に 関す る へ ブ ラ ィ 人の 信仰の 基に なって いる。
私たち は 創造に ついての この 説明 を, 盲目的に 受け入れなければ なら ない のだろう 力、。 聖書の 最初の 五書 の 著者 は, 創造主の み 業 を 目撃した わけで はなく, ただ 後の 時代に ヘプ ル 書の 著者が 記して いると 同じ 確固 たる 信仰 を 持って いただけ である。 「さて, 信仰と は, 望んで いる 事が らを 確信し, まだ 見て いない 事実 を 確認す る ことで ある。」 (へ ブル 11: 1 ) 信仰 と は , 知識 と な る に は 証拠 力 ; ま だ充 分 で な L 、場合 に それが 真実 だと 信じる こと, とも 言える。 私た ち は 次の 教えに 従いながら, 探究 を 続けなければ ならない。 「求めよ, そ うすれば, 与えられる であろう。 搜 せ, そうすれば, 見いだ すであろう。 門 をた たけ, そうすれば, あけても らぇ るであろう。 すべて 求める 者 は 得, 捜す 者 は 見出し, 門 をた たく 者
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は あけて もらえる からで ある。」 (マ
タイ 7 : 7 - 8 )
旧約聖書に は, 神が 天地 を 創造 さ れ た 後 , 私たち の 最初の 両親 である ァ ダム と ィ ブに エデンの 園の 中で 話 をされ たと 書かれて いる。 神 はふた りに 戒め を 与え, 言葉 を 交わされた。 アダムが, ノアの 父までの 8 世代の 子孫に, 神から |6: 接受け た 教え を 伝 えた こと は 間違いない。 ノア は 神と 直接に 言葉 を 交わし, 10 世代 後まで の 子孫に 教え を 与えた。 神はァ ブラ ハムに 姿 を 見せ, イサク や ヤコ ブに も 姿 を 現わされた。 モー セは 彼らの 子孫の 指導者 となった が, 神と モー セが I な 接に まみえ, その 記録が 後の 時代に 伝えられて きた こと は 周知の 通りで ある。
新約聖書 にも, 神が 姿 を 現わされ たこと が 記されて いる。 ヨハネから ィ エスが バプ テス マ を 受けられ たと -き, 示現が あり, 「また 天から 声が あ つて 言った, 『これ はわた しの 愛する 子, わたしの 心 に かなう 者で あ る』。」 (マ タイ 3 : 17) また 変貌の 山 では, 「 …… 輝く 雲が 彼ら をお おい, そして 雲の 中から 声が した, 『これ は わたしの 愛する 子, わたしの 心に か なう 者で ある。 これに 聞け』。 弟子た ち はこれ を 聞いて 非常に 恐れ, 顔 を 地に 伏せた。」 (マ タイ 17 : 5 — 6 )
これ は, 神が 子ら にたび たび 姿 を 現わされた ことにつ いて, 新旧 約聖 書に 記録され ている ほんの 一例に 過 ぎない。 西半球の 聖典に も, 神との 交流の あった こ と 力; 言 己され ている。 時の はじめから 代々, 神が 親しく 人 と 交わられた ことに ついては, 歴史 も 証明して いる。
至高 者の 実在に ついて, 歴史 だけ を 拠り どころ とする 必要 はない。 論 理で 立証 もで きる。 それ は 古代の 商 業界で 使われた 論法の ひとつで, 三 段 論法で ある。 すなわち, すべて 造 られた 物に は 造り手が いる。 地球 は
創造され た。 ゆえに 地球に は 創造者 がいる。 へ ブル 書 をもう 一度 引用し てみ よ う 。 著者 は 神が 地球の 創造者 である こと を, このような e^' 集で 述 ベて いる。 「家 はすべ て, だれかに よ つて 造られる ものであるが, すべて の もの を 造られた かたは, 神で あ る。」 (へ ブル 3:4) 運行す る 宇宙 とその 美と 驚異の すべてが, 大 創造 主なる 神の 存在 を 教えよ う と してい る。
ある 学者が こう 語った。 「 …… 科学 は 人間の ために あらゆる こと をして きたが, 人間に しかな し 得ない こと を 代わって でき はしない。 科学 は教 える ことができ るが, 学ぶ の は 人間 である。 つまり, 学ぶ こと はだれ に も 代わっても ら えない その 人 個人の 課題で ある。 だれも 他人に 代わって 学ぶ こと はでき ない。 科学 一般 は 神 の 存在 を 教えて いるで はない か。 し かし 神 を 見いだ す こと は, ひとり ひ とりに 課せられた 問題で ある。 神 は 実在 しないと いう 無神論者の 説 は 何 の 役に も 立たない。 無神論者 は 天に 神 はない と 心底 信じて いるの だろ う 力;, それ を 証明で きる もの は 何もな い。 私たちに は, 彼が 知っていない ことが わかって いる。 自分 は 知って いると はっき り 証す る 人々 が あるか ら である。」 (故 十二使徒 評議員 ジ ョ セフ • F • メリル The Truth- Seeker and Mormonism 「/;i 理の 探究者 と モ ルモニ ズム」 pp. 104-105)
科学的 な 手段 や 近代 電子工学 で は 神 を 見いだ す ことができな いと 言わ れ ている。 し 力 'し, 真理 を 求める 者 は, 因果の 因 を 求めて 行けば 至高 者 の 存在 を 自覚 せざるを得ない。 底に 流れる 強力な 力 を 見過 ご しにで き な いので ある。
人間 は 生来 礼拝 心 を 持つ ている。 昔 神はィ ス ラエルの 民に 対して こ う 言われた。 「わたし は あなたの 神, 主 であって, あなた を エジプトの 地,
奴隸の 家から 導き 出 し た 者で ある 。 あなた はわた しの ほかに, なにもの を も 神と して はならない。」 (出 ェジ プト 20 : 2-3) 神聖な 歴史 全体 を 貫く 教えの 中に, 人 は ひとりの 神し か 礼拝で きないと いう 確かな 真理が 存在す る。 ひとりの 神 を 礼拝す る こ と は, 人生に ひとつの 絶対の 忠誠 を 持つ ことで ある。 私たちが ひと りの 神 を 知ったならば, 神の もとに ひと つの 世界, ひとつの 人類が あって, 人 はみ な 兄弟で ある こ と を 知る であ ろう。
何が 人々 を 礼拝 に 駆 り 立てる ので あろう 力'。 人の 心に は, 神との 交わ り を 求める 生まれな がらの 何 かが あ るよう である。 ヨブ 記に はこう 書か れ ている。 「しかし 人のう ちに は 霊が あ り , 全能者の 霊感が 人に 悟 り を 与 える。」 (欽定 訳 ョ ブ 32 : 8) この 言 葉 は 暗に 人の 創造 を さしてい ると 思 われる。 人 はこの 霊感に よって 悟り と 理解 を 得, その 結果 神よりの 真理 を 識別で きる よ うになる。 人 はこの 霊感に よって 神 を 知る。
神 を 証明す る 歴史 や 神の 存在 を 知 る 人の 悟性に 加えて 神に ついての 最 も 確かな 知識 は 神よ りの 啓示に よつ て もたらされる。 時の はじめから 旧 約, 新約の 時代 を 通じて, 神 は 人に 御自身 をポ された。 まず アダムに, 次いで その子 孫から ノ ァに 至る 族長 たちに, 神 は 語り, 言葉 を 交わされ t こ。 ノ ァ 以降, アブラハム, イサク, ヤコ ブ, モー セ, そして キ リストが 導きと 恵みの 業 を 施される 時代に 至 るまでの 予 S 者た ちに, 神 は 姿 を 示 された。 イエスの バプ テス マのと き と, 変貌の 山に おいても, 神 は 話 を された。
バベルの塔の 時代に 旧世界 を 去つ て 西半球に 渡った 一団の 指導者に 神 は 御自身 を 示され, キリスト 降誕 以 前 600 年の 昔に は リー ハイに 語り, そ の 家族 をァメ リ 力 大陸へ 導かれた。
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神 は この 神権 時代に も , 少年 ジョセ フ. ス ミスに 姿 を 示され, ジ ヨセフ は 永遠の 父なる 神と 御子 イエス • キ リ ス ト を 拝す る 恵み を 得た。
このように 歴史 を 通じて, 人間 は 神 会 を 構成す る 永遠の 父な る 神と 御 子 イエス. キリスト と 聖霊に ついて
明らかにされ てきた。 キリスト教 界 はこの 御 三方 を 三位一体と している
力 S 御 三方 は イエスの バプ テス マの
と きに 御 父の み 声が あって 聖霊が 下 られ たこと から わかる ように, それ ぞれ 別個の 御 方で ある。 代価 を 払わな けれ ば 価値 ある 物 を
入手で き な L 、のが 通則 である。 学者 は 研究 を 進め, 成功 をめ ざして 努力 して こそ, 学識 を 得る ことができる。 そのような 努力 をし ないで, 学識な ど は 存在 しないな どと 言える であろ うか。 音楽家 も 数学者 も 科学者 も 運 動 選手 も, その他 さまざまな 分野で 優れた 技術 を 身に つけて いる 人々 は, そこに 至る まで 長年の 間, 研究と 練 習と 熱心な 努力 を 重ねてき たので あ る。 その 努力 をしょう としない 人が,
音楽, 数学, 科学, 運動 競技な ど は ない と言えるだろう 力、。 神 を 求めた くないと いう 理由 だけで, 神の 存在 を 否定す るの は 愚かな ことで ある。
歴史 は 神の 存在 を 語って いる。 科 学 は 至高 者の 存在 を 肯定して いる。 人の 理性 も 神の 存在 を ささやい てい る。 神 自ら 人に 姿 を 示された こと 力;', 存在の 確たる証拠 である。 神の 実在 を はっきりと 知る に は, 救い主が こ の 地上で み 業 を 行な う 間に 語られた 戒めと 教えに 従わなければ ならない。 そこで ィ エス は 彼らに 答えて 言われ た, 『わたしの 教え はわた し 自身の 教 えで はなく, わたし をつ かわされた かたの 教えで ある。 神の みこ ころ を 行おうと 思う 者で あれ ば , だれでも, わたしの 語って いる この 教えが 神 か らの もの カリ それとも, わたし 自身 から 出た もの 力つ わかる であろう。
」 (ョノ 、ネ 7 : 16-17) つまり,
真心から 求め, 身 を 挺して 神の みこ ころ を 行なう 者が, 神 は 存在す ると いう 知識 を 得る という ことで ある。
神 を 見いだ し, 神の 道 を 理解 すれ
ば, 宇宙の 万物 は 偶然の 所産で はな く, すべてが 神の 定められた 計画に 基づいた ものである こ と を 知る はず である。 これ を 知った 人の 人生 は ど れ ほど 豊かな 意味 を 持つ こと 力 >。 世 の 学識 を 超 えた 理解 を自 分の ものと する ことができる。 美しい 世界 は そ の 美し さ を 増し, 宇宙の 秩序 は その 意味 を 深めて, 神の 日々 が 去来し, 四季が あと を 追って 移り行く の を 見 ると き, 神の すべての 被 造 物に 理解 の 目 は 広がる。 万人が 神 を 見いだ し て その 道に 従ったならば, 兄弟に 対 して 人々 の 心 は 愛に 変わり, 国々 は 平和 を 迎える であろう 。
神 は 生きて おられ, 私たちの 永遠 の 天父で ある こと を 証す る。 イエス は キリスト であり, 神の 御子で あり , 世の 救い主で ある。 神 は 今 も 過去の 神権 時代 同様, 予言者た ちに みこ こ ろ を 示して おられる。 私たちが 神 を 知りたい という 真実の 望み を もって 神 を 求める こと を, イエス' キリス ト のみ 名に より 祈る ものである。 ァ
ーメン 0
40
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宗教 は異 るが, 信仰 篤 く 明敏な 論 説 者の 言葉から, ふたつ 引用したい と 思う。 彼 は 次の よ う に 語って いる。 「も しも 私たちが 神聖な もの を 侮り, "… 人間的な ものにす ベて 自己 を 依 存 したなら, 間違いな く 私たち は悲 観 主義の 勝利の 下に 屈する しかない。 …… 真実の 楽観主義 は, 永遠の 生命 とそれ を 与えた も う 御 方の 限りない 思寵 を 信じる 静 かな 不動の 信仰 を 土 台と しなければ ならない。」 (「ザ- ィ
ン 7" ペン テン 卜」 、丄' he Independent) の 論説よ り , 1898 年, P. 1596)
彼 けて 語る。 「霊魂の 不滅 を 信 じる のに, 私たち は 新しい 理由 を 捜 す 必要 はない。 古い 理由 …… で 充分 であり, …… 信仰心の すべて, 不死 不滅の 希望の すべてが 神から 始ま り , 神に 基づく 。 私たち は 神の も とから いで, 神の も とへ 行く 。 神 は 生きて おられ, 私たち は 生きて いる どう して 御 父 は ご 自身 を 子供た ちに 啓示され ない というの か。 どうして 御 父 は 予言者 や 教師 を 遣わさず, 至 高の 教師, 神の 御子, 人の子 を 遣わ されない というの か。 一度 は 死に, 死から よみがえった 御 方, そ の 名に 私たちの 信仰 を 寄せ, 死に 対 す る 勝利が 私 た ち の 勝利 ともなった その 御 方の 実在の 上に, 私たち は 立
つてい るので ある。」 (同上, 4 月 12 曰 号, P. 1900)
この 言葉から, 私たち は 思い浮か ベる 宣言が ある。 すなわち 文字通り 感情, 感覚, 体 を 持ちた もう 神の 実 在と, 救い主なる 神の 御子の 神性と, 啓示 や 予言者 や, 不朽の 生命 を 受け る 機会 やその 目的に 関する 宣言で あ る。
「われら は, 永遠の 父なる 神と, そ の 御子 イエス' キリストと 聖霊 と を 信ず」 (信仰箇条 第 1 条) —— 机上 論 でもな く, 漠然 と し た 実体の な ぃ存 在で もな く, 命 を 持ち, 愛 を 持ちた もう 神 は 生きて おられ, その 姿に か たどって 人が 造られた ので ある。
「われら は, すべて 神の これまでに 啓示した まいし こと, すべて 今 啓示 した も う こと を 信じ, なお 今よ り 後, 神の 王国に つきて 多くの 偉大に して 重要なる こ と を 啓示した もうこと を 信ず。」 (信仰 筒条第 9 条)
確かに, 過去の 予 * 者の 勧告 や 神 聖な 召しに ついては, 証拠が 豊富に ある。 また 今日, 全人 類が 神の 導き を 必要と している ことにつ いて, 豊 富な 証拠が 確かに ある。
ごく 最近, 私たち は 心から 愛する 予言者, デビ ッ ド • 0 • マッケイ 大 管長 を 失った。 私たちの 愛と 祈り を
遺族に, そして 69'4-: の 歳月 を 故人と 共に 過ごした 愛する夫 人に 捧げたい。
そして 私たち はき よ う, この 大会 で 支持 を 取る ことにな つてい る 愛す る 後継者 ジ ヨセフ' フィー ルディン ゲ. スミ ス大 管長から 説教 を 聞いた。 願わく ば 神が 彼 を 祝福し, 共に いて 彼 を 強め, 平安 を 与え, そして 愛す る 人々 と共に, 生命に つける すべて の 良き もの を 与えた も うように。
神 は 祈り や 内なる さ さやき や' K 感, 啓示な ど を 通じて 子供た ちに みこ こ ろ を 示される。 絶えざる 啓示の 必要 な こと は 明白であろう。 御 父が いま だに 私たちに 語って おられな いこ と は 無限に あり, 人が だれも 知らない こと は 際限な く ある。
改訂 や 廃棄 をされ ない 教科書が あ るだろう 力'。 修正 や 放棄され ない 理 論が あるだろう 力 >。 改善され ない 方 法 は あるだろう 力'。 研究に いつ 最後 の 発見が なされ, 神の み 旨 やみ ここ ろが 最後に 啓示され るの がいつ か を 知っている 人が いるだろう 力、 未知 の 事物の 前に 謙遜で ある こ とこ そ, いつの ときに も ふさわしい。 学問へ の 過大評価 は 好ま しい もので はない。
現代の 私たち は 過去の 遠い 地に ffe ん だ 人々 より 神の 導き を 必要と しな いという 考えの 人 はいる だろ う か。
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予言者 も 予言 も, 聖典, 勧告, 戒め はみ な 私たちの 持つ 貴重な 遺産で あ る。
では この 人生 や 人生の 目的, 問題, その 可能性に ついては ど う であろ う か。 私たち はみ な 未解決の 疑問 を 持 ち, 失望, 過ち, 善行, 愚行, 悲哀 も 悩み も ある。
この 世 は 探求の 世で ある。 しかし 大勢の 人々 が 誤った 道に あって 正し いもの を搜 している。 抗議に, 破壊 に 走る 人々 がいる が, 最も 悲しむ ベ き は 自分の 命 や 心 や 平安, 幸福, 未 来の 可能性 を 抹殺して いる 人で ある。 これらの ことにつ いて, 先日の 日曜 日 の 教会の 放送 に 重要な 意味 を 含む 言葉が 出て きたが, それ を 御 紹介し て 考察に 供したい。
も し 私たちが 方向 を 変えなければ, 今 行 こ う と している 所に 必ずた どり つく。
家庭が まず もとになる 場所 だが, マッケイ 大 管長 はこう 語った。 「仕事 や 娯楽 を 自分の 家庭よ り 上に 置く と き, その 瞬間から 彼 は 身と 霊の 衰弱 への 下り坂 をた どり 始める。」 そして, 最後に こう 述べて いる。 「家庭生活 最 大の敵 は 不道徳で ある。」 (「大会 報
告」 1969 年 10 月)
私 は 数日 前に, 自分の 子供に しつ け を しないと いって 校長 を 非難した 親の 話 を 聞いた。 しかし, 家庭が 一 番の もとで ある。 両親 は 自分の 子供 に 教え, 教えて いる こと を 自分で 守 りなさい。 私 は 未亡人の 愛する 母の ひ ざ で 語られた 祈り を, 感謝の 心で 厳粛に 思い出す。 彼女が 私たちに こ う 言った の を 覚えて いる。 彼女 はま
た, その a 葉 通りの 生活 をした。 「自
分の 義務 を 果たしなさい。 お祈り を しなさい。 什 分の 一 を 納めなさい。 お 借 りした もの は 返して。 正直 に な りなさい。 働きなさい。 清く ありな さい。 けんか をせ ずに。 嚓は せずに。 信仰 を 持って」 と。
愛する 若人た ちょ, このよ う な教 えに 耳 を 傾け, その 通りに 生活し な さい。 平安 や 幸福 や 永遠の 機会 を, 見せかけの 安つ ぼい 世の 誘惑に 賭け て はならない。
あなたが たは あらゆる こ と を 自分 で 試して みる わけに はいかない。 そ の 時間がない からで ある。 死 を 招く もの は (可 千と あるが, あなたの 命 は
たった ひとつで ある。 あなたの, C 、を, 徳を, 体 を, 霊 を 滅ぼす ことので き る もの は 幾千と ある。 だが ひとつと して 価値 ある もの はない。 だからす でに 立証され ている もの, 歴史 を 通 じて 人々 が 体験 してき た 苦労 や 過 ち や 苦悩から 学びなさい。 もし だれも が 人の 氾 してきた 失敗 を はじめから 全部 繰り返そうと したなら, 大して 学び も しないう ちに 一生が 終わって しまう。 私たちの 持つ 貴重な 遺産の 中には, 過去に 立証され たもの, 発 昆 された もの, 啓示され たもの も 入 つてい る。 それ を 受け入れなさい。 そして ここから 出発して, 学び, 悔 い 改め, 進歩し, 心身 や 平安 や 自尊 の 心 を 損なう ことなく, 助言 を 求め, 愛する 人々 を 信頼し, 律法 を 守って あなたの なれる 最良の 人に な りな さ い。 自分に は 助言 はいらな いと 考え, かた く なに 我が 道 を 突き進む 人 は, 前途 に 悩 み と 悲劇が 待 ち 受けて いる。 両親 や 監督 や 信頼で きる 立派な 人 たちに 相談しなさい。 ス ミ ス大 管長 は 副 管長た ち に 助言 を 求めて いる。 十二使徒 評議員 会 はお 互い や 兄弟た ちと 相談 をす る。 「誰に 対しても 責任 を 問われな いほ どの 地位 にまで 昇り つめた 人物 はいない。」 (ロー レンス • A • T 7° U — Managers in Action 「行動の 支配者」) あらゆる 答え を すべて 知ってい るよ うな 賢い 人間 は いない。 人と 話しあって 得る ものが 何 も ない よ う な 頭の 良い 人間 はいな い。 (地の 造られる 前に も, 天上の 大 会議が あった。) また, 主に 話す こと
を 忘れて はならない。 そして それ か ら, 聞きなさい。 今週 ハロル ド' B • リー 長老 力;, 「私たち は 導き を 求めて 祈る。 しかし 果たして 聞いて いる だ ろうか」 と 話 をされ た。 祈りに よる 神 と の 交わ り は 確かに 行な うこと が できる。 私たち は 皆, 何 か を 決定す ると きに, 導き を 必要と する。
誘惑 は どこに でも ある。 悪 を 行な う 機会 や 善 を 行なう 機会 は, どこに でも ある。 しかし 私たち は, 誘惑 を 誘い出して はならない。 ある 人が 面 白い こと を fi— つてい る。 「誘惑から 逃 げる ときに, 移転先の 住所 を 残して 行く 人た ち 力; いる。」 (ロータリー 国 際 クラ ブ 会報, テキサス 州ゲラ ハム) もし 悪い こと をした くなければ, そ の 考え を もて 遊ぶ こと もやめ るが よ い。 誘惑に つきまとわれた く なかつ たら, 興味 あるよう な 言動 はしない ことで ある。 絶壁に 近寄らない 人 は そこから 落ちる こと もない ので ある。
ここで, 私たちの 天父 は 理論家で はない と 申し上げよう。 創造 は 理論 によって 進められて はいない。 春が 戻り 来る の も 連 論に よるので はなく, 種が 育つ の も 理論に よるので はない。 物に も 道徳に も 霊に も, それぞれの 法則 はい ま だ 有効で ある。 戒め は 今 なお 力 を 持ち, だれも それ を 無効に はして いない。 無効に する 権利 は, 戒め を 与えた もうた 神 を 除いて, 他 の だれに も ない。
天父が 私たちに 勧告 や 戒め を 与え られ ると き, 私たち は それが 極めて
大切 だ と 確信で き る 。 天父が 私た ち に 何 か を 語られる とき, 私たち は そ れを 信じる 方が よい。 ある 道 を 行け ば 私たち は その 結果 を 得, 別の 道 を 行けば また 別の 結果 を 得る。
多 く の 方々 は, ス ペン サー • W •
キ ン ボール 長老の 赦 しの 奇跡に つい ての 素 晴ら しい 本 をお 読みに な つ た ことと 思う。 神 は, 私たちが 悔い 改 めて 貞心 を 実際 生活の 中 で 示 し た な
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らば 私たち を赦 し, 平安と 自尊の 心 を 得る よ う に 助けた も う 愛 深い 御 父 である こと を, 私 は 証す る。 神 は 私 た ちに で きない こと は 何も 求められ ず, 私たちに 果たせない 要求 は 何も 望みた まわない。 私たちが 卒先して 努力し, 果たした いと 願う 限り は。 悔い改め は, それが 真心からの もの であったならば, 奇跡と なる。
ある 歴史家た ちの 言葉に よれば, 私たちの 文明 以前に 道徳の 退廃 を 主
因と して 興亡して いった 文明が 19 あ ると いう。 そして その 大半 は, 恐ら く 手遅れになる 時期まで その 状態に 気付かなかった という ことで ある。 私たちと て, 自分の 行動の 結果 ゃ将 来に 待ち受ける こ と を 免れ 得る もの ではない。
人類が 月に 第一歩 をし る したと き の 言葉 を 覚えて おいでであろう。 「人 にと つて は 小さな 一歩 だが, 人類に とって は大 飛躍 だ。」 (ニール • A • アーム スト CI ンゲ) そして 別の 人が それに 続けて, 「私たち は, 月に 立て ると ころまで きた。 今度 は 隣人に 手 を 伸ばさなければ ならない。 …… 小 さな 一歩 を 続けて ゆけば, 人に でき ない こと はない」 (R'' 、リス, One Small Siep 「小さな 一歩」)
そしても し 人が 律法の 中で 生き,
戒め を 守り, 摂理 者なる 神の 目的に 従ったならば, 人に できない こと は ない ので ある。
愛する 若人の 皆さん, 神が あなた がた を 祝福され るよ う に。 風説に ひ き ずられ て はならない。 すでに 発見 されて いる こと を搜 して, 目的 もな く あち こ ち 駆け まわって はならない。 現代の 詭弁 や 誘惑に 惑わされて はな ら ない。 神から 与えられた 勧告と 戒 めに 従って 生き, 思慮と 祈りの ある 生活, そして 清い 生活に よって 得ら れる 平安と 幸福 をみ つけなさい。
時代 は 悩んで いる。 問題 は 多い。 人 は 右往左往し, あるいは 自暴自棄 に 陥り, 大勢の 人が 恐れ を 抱く。 し かし 天に は, 万物に 対して 目的と 約 束と 力 を 及ぼす 神が おられる。 私た ち は ひたすら 神の 勧告, 戒め を 守つ て 主の 道 を 行なうならば, この 世で は 平安と 幸福 を 得, 来るべき 世で は 愛する 人々 と共に 無限 無窮の 機会に あずかる こ とがで きる。
この 世で 道 半ばに して 放棄す る こ と, あるいは 来世での 目標 を 下げる こと, これほど 愚かで, 目先の みに と ら われた 姿勢 はない。
この 教会の 使命, 教会の 伝える 教 え は 全人 類に 向けられ ており, それ を 受ける 人々 の 生活 を 必ずや 祝福し,
向上させる ものである。 私たち はす ベての 人の 現世と 永遠に わたる 救い を 願って あなたのと ころへ うかがう。 疲れた 人, さまよう 人, 道 を 失った 人, 孤独な 人, 病の 人, 悲しみ を 負 う 人, 落胆す る 人, また 愛する 者 を なくした 人, 人生 を 模索して いる 人。 捜して いるもの は そこに ある。 それ を 見い出す ことができ るよう, 天父 が 助けた まわん こと を。
私 は 皆様に 証 をしたい。 神 は 生き て おられる。 神 は 再び 人の 中に み 業 を 確立され た。 ィヱス は 私たちの 救 い 主, 噴い 主で ある。 私 は 現在の 予 言 者 を, また 過去の すべての 予言者 をいた だいて いる こと を, 神に 感謝 する。
も し 私たちが 方向 を 変えなければ, 今 行こうと している 所に 必ずた ど り つく 。 今 私たちが どこに いよ う と, 今まで どこに いたので あろうと, も しも 小さな 一歩 を 正しい 方向に 踏み 出して ゆけば, そして 日に 曰に 悔い 改めつつ 進歩 すれば, 私たち は 永遠 に 愛する 人々 と共に 神が 与えた も う 最大の 可能性 を 実現し, 心に 確信 を 持って, きょう もい つの 日 も 前進で きる ので ある。 イエス' キリストの み 名に よ つて。 アーメン。
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人と 争わず, 確固たる 道 を
十二使徒 評議員 会 会員
ゴードン • B • ヒンク レ'
たった ひとつの 私の 願い は, 兄弟 姉 妹, あなたがたの 信仰 を 励ます 話 をしたい という ことで ある。 そのた めに, 私は聖 きみた まの 霊感 を 乞い 求める。
私 はこの 教会の 目覚ましい 発展に 驚く と共に 感謝す る。 数日 前, 私 は ベンソン 兄弟 と共に シォ ンの 東京 ス テーキ 部 設立に 立ち会った。 3 週間 前に はタ トル 兄弟と 共に シ オンの リ マ ステーキ 部 を 組織した。 1 , 2 週 間 前 は ロムニー 兄弟が 南ァフ リ 力 の ヨハネス バーグに ステーキ 部 を 組織 した。 こ う してみ る と こ こ 数 週間の 間に, 日本, ペルー, 南アフリカと いう 遠い 地に 強力で 活発な ステーキ 部が できて いる。
私たちの 先祖が 語った 時代 は, 今 来て いる。 現代 は予 ti' の 成就され る 日で あり, 私 も あなたがた 同様, 今 の 時代に いあわせて, 世界 各地の 多 く の 民 をよ り 良く 変えて いる この 活 気に 満 ちた 奇 しき み 業に 参加で き る こ と を 感謝して いる。
この 発展 は 人の 勝利で はない。 そ れは 神の 力の 表われで ある。 私たち がそれ を 決して 誇らず, 自慢し ない よ う に 願って いる。 常にへ り く だつ て 感謝す るよ うに 祈って いる。
昨晚 はこの タパ ナクル を 会場に,
予言者 ジ ヨセフ' スミ スの 見神 150 周 年 を 祝って, 歌と 話の 感動 的な 記念 大会が 行なわれた。 1820 年の 春の 朝, 御 父と 御子が 少年 ジ ヨセフに 現われ たもう たこの 最も 素 晴ら しい 顕現 を, こ う して 改めて 思い起こせ たこと を 感謝して いる。 今日の 教会に 私たち の 見る すべての 進歩 は, あの 素 晴ら しい 出来事が 結んだ 実で あり, 各国 で 何百 万の 人の 心 を 動かして きた あ の 証の 実で ある。 私 はみ たまによ つ て 与えられた 自分自身の 証 を 述べた い。 予言者が 語った あの 素晴らしい 出来事 は 真実で ある。 永遠の 父なる 神と 復活され た主ィ ヱス 'キリスト は そのと きジ ヨセフと, ちょうどき よ う 私が あなたがたと 話す よ う に, 実際に 親しく 顔を合わせて 話 をされ
た。 私 は 声 を 上げて 証す る。 ジ 3 セ
フは 予言者で あり, 彼 を 通じて 始め られた 業 はま さしく 神の み 業で ある と。
私 は 先日の 晚に, ジ ヨセフの 仕事 の 概略と それ を 進める 私たちの 責任 を 説いた 文章 を 再き/として みた。 詩的 で 美しい この 文章 は, ジ ヨセフの 死 後 1 年に な ら ない 1845' ォ: に パー レ 一 • P • プラット が つづつ た も ので ある。 そこから 引用しょう。
「彼 は 神の 王国 を 興した。 —— 私た
ち は その 領土 を 広げよ う 。
彼 はまった き 福音 を 回復した。 一 —私たち は それ を 世に 広めよ う 。
彼 は 栄光の 日の 夜明け を 開いた。 —— 私 たち は その 輝き を 極限まで 大 き く 引き上げよ う 。
彼 は 『小さき ひと り』, しかし あま た にな つ た 。 —— 私た ち は 『小 さ き 群れ』, やがて は 強大な 国と なる。
そうな の だ。 彼 は 石 を 切り出した。 -… •• 私たち は それ を 大きな 山と なし, 全地 を 満たさせよう。」 (「ミ レニ ァ ル • スター, 第 5 巻, 1845 年 3 月 号, pp. 151-52)
私 たち はこ の 夢の 実現 を 目の あた りに している。 私たち は, この 王国 建設に 際して 与えられた 神の 信頼に 誠心誠意 応 えたい ものである。 私た ちの 努力に 悲嘆 や 妨害がない とはい えない。 ifi: 接, 間接に 反対 もあろう。
み 業が 進展す るに つれて, 敵 はさ らにカ を 加える と 思われる。 一番の 防御 は, 神の 予言者と して 支持した 人た ちからの 教え を 忠実に 守る とい
う 静かな 攻撃で ある。 ジ ヨセフ. ス ミス は, 私たちが 置
かれて いる 状況に 関して 次の よ う に 教えた。 「柔和, 謹厳 を もって 行き, イエス. キリスト と 十字架に かけら れた 主につ いて 教えなさい。 信仰 や
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宗教の 体系に ついて 人と 争わず, 確 固た る 道 を 進みなさい。 私 はこれ を 戒めと して 宣言す る。 守らない 者 は ことごとく 頭に 迫害 を 招き, 従う 者 は 常に 聖霊に 満たされる であろ う 。 これ を, 予言と して 宣告す る。」
主が 霊感 を 賜うなら, これから 私 がお 話したい こ との テーマ を ここ 力 > ら 取り上げ たいと 思う。
「人と 争わず, 確固たる 道 を 進みな
さい。」
私たち は 移ろう 価値観と 変化す る 標準と, 朝に 咲いて は 夕方に しぼむ まやかしの 活動の 時代に 生きて いる。 政治に, 公衆道徳に, 個人 道徳 や 人 人の 家庭の 中に それ を 見, 多くの 教 会に, また 私たち 教会員の 間に も, 人の 詭弁に つき 従う 人々 の 中に それ を 見る。
あらゆる 国で 人々 は 社会の 力 と な つていた 伝統 を 打ち捨てて 暗闇で 手 探りし, しかしい まだに 自分 を 導く 新星 を 見いだ せないで いるよ うに 思 われる。
最近 私たち は, 日本で 開催され る
1970 年 世界 博覧会に 出展す る 教会の パビリオンの 献堂 式に 出席した。 ひ と りの 日本 政府 代表者が 話の 中で, ほ とん どが 人類の 技術 を 誇 る 出展の 中で 教会が 参加した こと を暖く 歓迎 していた。 彼 は 自国の 国民生活に 宗 教の 影響力が 弱ま り, 結果と して 標 準 や 理想が 退歩して いる こ と を 嘆い ていた。
それ は どの 国 も 同じであろう。 私 は 何 力 月 か 前に, ピュ リ ッ ァ ー賞受 賞の 歴史学 者, バーバラ 'タック マ ンの 興味 ある 論評 を 読んだ が, 彼女 はこ う 書いて いた。
「こと 私たちの 指導者と なると, ど ちらかと いえ ば 多す ぎ る ほ どの パ' ィ ド . バイ バー (伝説の 笛吹き, 笛で ねずみ を 誘い出して 水死 させた が, 約束 を 破られた ため, 今度 は 笛の 音 で 町の 子供た ち を 誘い出して 隠して
しまった という 〔訳注〕) がいて, 人 々を 誘い出そう とうず うずして いる。 彼ら は あちこち を 走り まわって 同意 を 集め, 可能な 限りの 賛成 を 取って くる。 その 彼らが きまって しない こ とが ある。 それ は 体 を 動かそう とせ ずに こう 言う こと だ。
『これ は 私の 信じて いる ことです。 私 はこうし ます。 こうしません。 こ れが 私の 行動 規範で, こんな こと は しません。 これ は 良い ことで, あれ はつ まらない ことです。』 標準 を 明示 したがらない という 風潮の 中に, 道 徳の 指導 件 欠如が ある。」
彼女 はこう 続ける。 「思 う に 私た ち の 貧しい… 社会が 受け継 いでいる あ ら ゆる 悪徳の 中 で, 多くの 不安 や 混 乱の 根源と なって いるの は, 標準の 不在で ある。 私たち は 自分が 信じら れ ないた めに 標準 を 口に 出せず, 標 準に 頼り 切る こ と もで きず, 権威 あ る 地位の 人々 でさえ, 必要な ときに も 標準 を 定める ことができない。 私 たち は 価値観, 道徳, 行動, 倫理の 面で どつ ちつかず の 立場に 甘んじる という 病い に 冒されて いるかの よ う である。」 、 fhe Missing Element Moral Courage 「欠けて いる もの 一 一勇 気」 マッコール, 1967'4.:6 月, P- 28)
一般社会 で 標準が 揺らいで いる 今, 私たち 教会員に は 同じよ う にぐらつ く 理由 はない。 私たちに は, 試し を く ぐり 抜けて きた 確実な 力 ある 標準 が ある。 私たち は それ を 守る 限り, 前進す る。 なおざりに すれば 自分の 進歩 を 抑え, 主の み 業に 停滞 を 招く。 その 標準 は 主から 与えられた。 ある もの は 私たちの 社会で 幾分 時代遅れ に 見えよう が, その 正し さに いかな るかげ り もな く, その 効力 はい さ さ かも 損なわれ ていない。 いかに 賢 か ろ う とい かに もっともらしく 聞こえ ようと, 人間の さ さやかな 理性 を も つ て 神の 言明 された 知恵 を改 ざん す
る こと はでき ない。
私 は 先日 ミルウォーキー ステーキ 部の 祝福 師の 言葉 を 聞いた が, 今 こ の 会場に も おいでの 彼の 言葉が 忘れ られ ない。 彼 はこう 言った。 「神 は 私 たちの 票 を 期待す る 天上の 政治家で はない。 そうで はなく, 神 は 私たち が兒 いだし, 従順 を 捧げるべき 御 方 である。」 (ハンス. キン ッ)
確かに, 従順 は 幸 fei を もたらす。 従順 は 個人に 平安 を もたらし, 成長 を もたらす。 そして その 良い 模範が, その 人の 属する 教会の 評判 を 高める。
私たちが 神よ り 与えられた 標準 を 忠実に 守る こと 力く, 周りの人々 にと つて 不快な ことになる はず はない。 人と 争う 必要 はない。 私たちが 確固 たる 道 を 歩み 続けるなら, その 模範 こそ 力;, 私たちの 主張の 正し さ を 示 す 一番の 証明と なる であろ う 。
主 は 私たちに 実に 多くの 勧告と 戒 め を 与えて おられ, 主の 教会員 は ひ とりと して 言い逃れの 余地がない。 人徳, 隣人愛, 律法への 従順, 国家 への 忠誠, 安息日の 遵守, 禁酒 禁煙, 什 分の 一 や 捧げ物の 納入, 困窮者の 世話, 家庭 や 家族の 指導, 福 の 伝 道な ど, 幾ら 挙げても きりがな いほ ど, 神 は 多くの ことにつ いて 私たち に 道し るべ を 立てて ド さつ た。
その どれに ついても 論争 を 必要と しない。 私たちが 自分の 宗教 を 生活 に 実践して 確固たる 道 を 歩むならば, 何の 方法に よ るよりも 一番 効果的に この 大義 を 進める ことができる。
私たち を 連れ去ろ う とする 人々 が あろう。 おびき 出そうと する 人々 力; あろう 。 私たち は そしられ も' しょ う 。 さげすまれ もしょう。 ののしられ, 世に 風刺 も されよう。
教会 内外に 神の みに 属する 権能 を 侵害す る ことが あたかも 私た ち の特 権で あるかの ように, 何 かにつ けて 私たちの 立場 を 変えさせよ うとす る 人々 力; いる。
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私たち は 人と 論争した く はない。 教える の は 平和の 福音で ある。 しか し 私たち は, 予言者と して 支持した 人々 を 通じて 教えられた 主の み 言葉 を, 捨てる こと はでき ない。 タック マン 女史の 言葉 を 再び 借り るなら ば 私たち は 起立して こ う あわなければ ならない。
「これ は 私の 信じて いる ことです。 私 はこうし ます。 こうしません。 こ れが 私の 行動 規範で, こんな こと は しません」 と。
失望のと き も, 心配で たまらない とき もあろう。 私たちの すべての 者 の 生活に, 決意し なくて はならない 日 が 必ずやつ てく る。 これまで も そ うであった。
この 教会の 男女 はみ な, 私たちの 先祖が 自分の 信仰の ために 払った 代 価に ついて 幾分な りと も 知っている。 ここで また 思い出す の は, 最近 読ん
だ 妻の 祖母の 話で ある。 袓 母が 13 歳 のとき の 話 だが, 御 紹介 したいと 思 う。 彼女 は, 柔 かな 緑の 丘が 起伏し て 海まで 続く, イギリスの 南岸の サ セックス 州 , 美しい ブライ トン の 町 で 過 ご し た 少女 時代 を 語って いる。
彼女の 家族が バプテ ス マ を 受けた の は その 町であった。 これ は 真実 だ というみ たまの ささやき を 受けて, 一家の 改宗 はごく 自然に 行なわれた。 しかし 親戚 や 隣人 は 批判的で, 暴徒 が 民衆 を 扇動したり もした。 自らの 信じる こと を 述べる こと, バプ テス マ を 受けて モル モン と 認められる こ とに は, 心の底から 湧き出る 類 まれ なる 勇気が 必要であった。
一家 は リバプールに 行き, 900 名 ほ どの 人々 と 一緒に 帆船 ホ ラ ィ ズン号 に 乗船した。
帆が 風 を はらむ と, 彼ら は 「さら ば, 故国よ, さ らば」 を 歌った。 現 在で はジ X ッ ト 機で 6 時間の 距離な の だが, そこ を 1 力 月 半の 航海の 後, 一行 は ボストンに 上陸し, それから
汽車で 出立 地の アイ ォヮ 'シティ—
へ 着いた。
彼ら は そこで 4 頭の 雄牛と 2 頭の 雌牛と, 馬車と テント を 買った。 一 家 は 手車 隊の 一隊 と 同行して 彼 ら を 助ける 責任 を 受けた。
この アイオワ 'シティ 一で, 一家 に 最初の 悲劇が 訪れた。 2 歳に もな ら な t 、最 年少の 子が 慣れな t 、旅の空 に 果てて, 家族の 墓参 も かなわぬ 土 地に 埋葬され たので ある。
ここで 13 歳の 少女の 自筆の 言葉 を 少し 読んで みよ う 。
「私たち は 1 日に 15 マイルから 25 マ ィル (24~40 キロ) 進みました。… …そして プラ ッ ト 川に 着き ま した。 …… その 日 手車 隊と 合流し ました。 私た ち は 手車 隊の 人た ちが 1 1 1 を 渡る の を 見ました。 川に は 大きな 氷の 塊 が 流れて いて, ひどい 寒さでした。 翌朝に なると 14 人の 死者が 出 ま した。 …-' 私たち はキ ャ ン プに 戻って お 祈 り を して -'… 「恐れず, 来れ 聖徒, …… 」 と 歌い ま した。 私 は (その 夜) 母が 何で 泣いた のか わかり ませ ん でした。 …… 翌朝に なると 私に 妹 が 生まれました。 9 月 23 日でした。 名前 を エディ ス とつけ ました。 ェデ
イス は 1 力 月 半で 亡くな りました。 …… (彼女 はスゥ ィー トウ オーター 川 を 最後に 渡った 場所に 埋められ ま
した。)
(すごい 雪の 中に 突っ込んで, 私 は 迷子に なりました。) 手足が 凍え まし た。 …… 大人の 人が 雪で こすって 足 を バケツの 水に 入れて く れま した。 すごく 痛かった。
デビル ゲー 卜に 着く と, 寒さが い つそう 厳しくな りました。 私たち は いろいろな もの を そこに 置いて きま
した。 …… 兄弟の ジ; L ームズ はいつ
もと 同じに 寝た のに, 次の 朝 は 死ん でい ました。 …… 足が 凍傷に かかり ました。 兄弟 もみん な 凍傷に なり ま した。 ただ 雪 だけ。 (見 わたす 限り 雪
で, ワイオミングの 寒風が 吹き荒れ ていました。) 私たち は テントの 杭 打 ち もで きませんでした。 …… 自分た ちが どう なる かも わかり ませんで し た。 (そんな) ある 晩 ひとりの 男の人
が キヤ ンプ にやって きて, プリ
ガム . ヤングが 私たち を 助けに 人と 馬 寧 を 送った と 教えました。 …… 私 たち は 歌 を 歌い, ある 人た ち は 踊り を 踊り, ある 人た ち は 泣きました。
でも 母 は, よくな りませんでした。
母 は リ トル マウンテンと ビッグ
マウ ン テンに はさ まれた 山 合で 死に ま した。 …… 43 歳でした。 "…-
私たち は 1856 年 12 月 11 日の 夜 9 時 に, ソルト レーク' シティ 一 に 到着 しました。 生きて いる 人の 4 人に 3 人が 凍傷でした。 母 は 馬車の 中で 亡 くな つた ままでした。 ••••••
翌朝 早く プリ ガム • ヤングが 来 ま した。 …… 彼 は 私たちの 状態 を 見て, 足が 凍傷に かかって いるの や 母が 死 んで いるの を 見て, 涙 を 流しました。
お 医者が 私の つま 先 を 切断して い る 間に, 姉た ちが 母に 死 装束 を 着せ ました。 "…- 足 を 固定し 終る と, 私 を 運んで いって 母に 最後の 対面 を さ せて くれました。 いったい, どうし て それが 耐えられたん でしよう。 そ の 日の 午後, 母 は 埋められました。
私 は 今でもよ く, 母が ィ ギリ スを 発つ 前に 言った a 葉 を 思い出します。 『ポリ 一, 母さん は 子供た ちが 小さ いうちに シ オンに 行きたい の。 あな たたち がキ リ ス 卜の 福音の 中で 育つ ようにね。 この 教会が 本当の 教会 だ つて 知っている からよ。』 {Life of Mary Ann Goble Pay, ' メアリ 一' アン' ゴー ブル • ぺ ィ の 一生」) こ う して 13 歳の 少女の 話 は 終わる。
私 は 最後に 問いたい。 私たちの 先 袓が 自分の 信仰の ために このよ う に 大きな 代価 を 払った というのに, 私
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た ち が 自分の 信仰の た め に 何 か 小 さ な 犠牲 を 求められたり, ささいな 批 判 を 忍ばなければ ならない からと い つて, 问の 驚く ことがあろ う か。
私たち は 争う ことなく, 議論す る ことなく, 立腹させる ことなく, 確 固た る 道 を 進み, 神の 王国 を 築こう ではない か。 問題が あるならば, 落
ち 着いて それに 対処し よ う 。 悪に は 善 を もって 打ち勝とう。 これ は 神の み 業で ある。 み 業 は 地上に 勢い を 増 し 続け, 真理の 教えに 応える 心 を 持 つた 無数の 人々 の 生活 を 良き に 変 え ている。 天が下の 何の 力 も それ をと どめる こと はでき ない。 それが 私たち の 信仰 であり, 証で
ある。
私た ちが 自 分た ちに 与えられた 神
S で 重大な 責任に ふさわしく あ り ,
かく して 神の 王 11^1 を 進展させる よう , 神が 助けた まわん こと を, その 神聖 さ を 証す ると 共に, 謹んで 祈る 次第
である。 イエス • キリスト のみ 名に よって。 ァーメ ン。
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神権の 力と 影響
大 管長 会 第二 副 管長
N • エル ドン • タナー
この 会と 今 大会 をす ベて 管理す る ス ミ ス大 管長から, 私 は 司会 を 命じ られ たが, ここで 短い 話の 責任 をい ただいた。
神の 神権 を 持つ 末日 聖徒 ィ エス • キ リ ス ト 教会の 神権 者た ちと 会う と き は, いつも 胸が 高鳴り, 心 を 鼓舞 される。 さきほど 聞いた 美しい 歌 や この 場で 受けた 胸 を 打つ 話 は, それ をい やが 上に も かきたてる。
神権 は, 万物 を 造った 力で あり 今 宵 バンデ ン バーグ 管理 監督が 言われ
た 通り, 神が 事 をな される ときの そ の 力で ある。 また 私たち 個人に とつ て は, それぞれの 職に あって 神の み 名に より 働く よう にと 与えられた 神 の 力で ある。 その 神権 を 授けられる こと は 大きな 特権で あり, 素晴らし い 祝福で あり, 大切な 責任で ある。
教会の 若人の 中には, 執事 や 教師 や 祭司に 相当す る 年令に なれば, 活 動 状況 や 生活 態度に おかまいなく 神 権 を 受けて 当然と 考える 人が いる。 そのような 人た ち は, 神権 を 受ける という ことが どんなに 大き な 特権で ある 力、 よく 認識すべき である。 神 権 を 受ける 人 は 非常に 重い 責任 を 引 き 受ける ので ある。
教義と 聖 約の 中から, 少し 読んで みたい と 思う。
「見よ, 召さる る 者 は 多 けれども 選 ばる る 者 は 少し。 選ばる る ことなき は, これ そもそも 何の 故ぞ。 そ は, 人々 の心甚 しく この 世に 属 ける もの の 上に あり, 唯々 人間の 誉を 得る こ と をのみ 望み, 次の 如き 一つの 戒め を 知らざる による。 曰く, 神権の 権 能 は 天の 能力 と 固く 結びつきて 離る ベから ざる ものにして, 天の 能力 は 正義の 原則に よ りての み 支配し 運用 し 得る ものな り, と。 この 権能の わ れらに 与えら るる 事 も あらん は 真実 なり。 され どもし 己が 罪を蔽 いかく さんと し, われらの 高慢, 空しき 野 望を充 さんと 企て, または 幾分に て も 正しから ざる ことにより て 人の子 らを 支配し, 統御し, 強制 せんとす る 時 は, 見よ 諸 天 は 退き 去り, 主の
『みたま』 悲しむ。 主の 『みたま』 退き 去らば, 神権 または その 人の 権 威 は 終りな り。 見よ その 人い まだ 覚 ら ざる 前, 独り 置かる る ままに とげ あるむ ち をけ り 聖徒 を 迫害し 神に 叛 きて 闘 をな す。」 (教義と 聖約 121:34
—38)
私 はこの 聖句 を, 自分の 神権の 召 しに 全力 を 傾けない 人 や 神権 を 間違 つて 用いる 人 を 指して いると 考える。 神権の 務めから 次第 次第に 遠の いて ゆき, 教会から 離れて 行った という
例 を 私 はた く さん 知っている。
非常に 活発だった 男性が 証 をな く して, 主の みたまが 離れ 去る と, 権 能 ある 人々 を 批判す るよ う になって, やがて 聖徒た ち を 迫害し, 背教して, 神に 対して 戦い をい どむ よ う になる ので ある。
しかし, 主 は 教義と 聖 約の 中で こ う も 言って おられる。 「聖霊 は 常に 汝 の 伴侶と なり, 汝の笏 は 真理と 正義 の 変る ことなき 笏 となり, 汝の 支配 は 永遠の 支配と な り て 強いら る る こ となく 永遠に 汝に 流れ込まん。」 (教 義の聖 約 121 : 46) これ は WIS の し を 全力 を 尽く して 遂行して こそで あ
る 0
神権の 誓詞と 誓約に ついては どな たも 読んだ ことがあり, 何度も 聞い ている ことと 思う。 私に とって, こ れは 実に 大切な こ とで ある。
「およ そ 忠実に して わが 今 語れる 二 つの 神権 を 得, 而 して その 天よりの 召 を 全力 を尽 して 遂行す る 者た ち は
『みたま』 により 聖 めら れて その 肉 体 再 新 さる。 これらの 者 は モー セの 息子た ちとな り, ァロ ンの 息子た ち となり, アブラハム の 子孫 となり, また 教会員に して 王国の 民と なり 神 の 選民と なる。 主 は 言う, またす ベ てこの 神権 を 受け 入る る 者 は, われ
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を受く るな り。 そ は, わが 僕ら を受 け 人る る 者 はわれ を受 くれば な り 。 また, われ を 受け 入る る 者 はわが 父 を受 くるな り。 而 して, わが 父を受 け 入る る 者 はわが 父の 王国 を受く る なり。 この 故に わが 父の もてる すべ て は 彼に 与えら るべ し。」 (教義と 聖
約 84 : 33—38)
これらの 祝福が, 毎日 あらゆる 場 で 自分の 神権の 召し を 全力 を 尽く し
て 遂行す る 人々 に 約束され ている こ と を, ここで 強調したい。 「而 して こ は 神権に 属 ける 誓詞と 誓約に よ りて 然るな り。 この 故に この 神権 を受く る 者 は, すべて わが 父の この 誓詞と 誓約と を 受け, 而し てこれ を わが 父 は 破る こ と も 変える こ と も 為した も うはず なし。 され ど 何人に まれ 一度 この 誓約 を 受けて 後 これ を 破り, ま たこと ごとく これに 違背す る 者 はこ の 世に 於ても 未来の 世に 於ても 罪の 赦 しを受 くる ことな かるべし。」 (教 義と聖 約 84 : 39-41)
主 はこ こで, 御 自分 は 誓約 を 破る こと はない が, 私たちが もし 破れば 約束 は 取り消され ると 言って おられ る。
「この 故に, 今や 神権 者 皆 各々 その 義務 を 覚れ。 また 己が 任命 せられた る 務め を 全く 勤勉に 勤むべし。 およ そ, 怠惰なる 者 は その 地位に 居る に 値せず, また その 義務 を 覚らず 信任 さ るるに 足る 行い を 示さ ざる 者 は, その 地位に ある 値な き 者な り。 誠に 然り, アーメン。」 (教義と 聖約 107: 99—100)
「されば も し汝ら 絶えず わが 善 を 行 い, 異邦人の 光と なり, この 神権に よ りて わが 民の ィ ス ラエル を 救う 者 とならば 汝ら 幸福な り 。 主, この こ と を 言えり。 アーメン。」 (教義と 聖 約 86 : 11)
き よ う 何度も 指摘され たよ う に,
私たち は 騒然たる 世の中に 生きて い る。 世間が, どこへ 行くべき 力、 何 をな すべき かの 理解と 指示 を 与えて くれる 指導者 を, どこかに 求める の は 至極 最もで ある。 人々 に は, 人生 に 目的が あり, その 目的と は 何で あ るか を 知る ことが 必要で ある。 彼ら 力;, あなたがた 兄弟の 持って いる 神 の 神権 を 頼りと する の も ごく 当然で ある。
すべての 男性が 自分の 神権の 召 し を 全力 を 尽く して 遂行したならば, こ の 教会に ある 神権が 全世界に どの ような 影響を及ぼ すか, はかり 知れ ない。 兄弟た ち, 神権 は, 全力 を尽 く して 遂行され たなら ば, 不動の 影 響 力, 安定の 力と なる。 そうなら な ければ ならない。 妻た ち, 母親た ち は, 神権 者の 夫に 指導と 力と 指示 を 受ける 完全な 権利と 責任 を 持って い る。 夫 は 家庭に 必要な 指示と 保護と 力と を 与えられる ように, 自分の 神 権の 召し を 全力 を 尽く して 遂行す る 責任が ある。 彼に は それが できる。 神権の^^ し を 熱心に 務め るなら ば, 主によ つて 家族の 目に 大 いなる 者と され, 良い 影響 を 周囲に 与える であ ろ う 。
私たち は, 姉妹た ちゃ 少年た ちに も 責任が ある。 姉妹 はたと え I2 歳で あろう と 神権 者の 兄弟 を 重んじる ベ きで, 神権 者の 模範 を 彼に 期待し, 勧告 や 指示 や 力 や 一緒にい る ときの 安全 を 彼に 求める の も 当然で ある。 変人 は 神権 者と 外出 するとき に, 彼 に 全幅の 信頼 を 置け るよ うでな けれ ばなら ない。 神権の 召し を 全力 を尽 く して 遂行して いる 神権 者で あるな ら, 命に 懸けても 彼女の 操 を 守り, それ を 奪おう などと は 決して 考えな いこと を, 彼女に 知って もらわな け れ ばなら ない。 彼が 自分の 持って い る 神権と 責任に ついて 考えるならば,
誘惑 は 受けない であろう。 きのう 私 が 受け取った 1 通の 手紙から 少し 読 ん でみたい と 思う。 これ は, 神権の
/3 し を 全力 を 尽く して 遂行し 福音の
原則 を 守る こと の 大切 さ を 述べて !• 、
る。 大勢の 兄弟た ちがそう あるべき だと 信じて はいても, それ を 実行す る 勇気 や 力 を 持たないで いる。 福音 の 教え を 守った ときに, 仲間に 及ぼ す 影響の 大き さ を 私たちが 認識して さえ いれば, きっとよ りよい 行ない がで きる に違いない。 手紙 はかなり 親しく している ロサンゼルス 在住の 有名な 弁護士からで, このような こ と を 言って 来た。
「何 週間が もう 何 力 月に なつ て 法律 業務に 没頭す る 毎日です が, そんな 間 もよ く 頭 をよ ぎる の は, まれに 見 る ひとり の 青年 弁護士の こ と です。 ひ と つの 訴訟が 終わつ た ばか り なの です が, そのと きの 私の 対敵が, ま だ 若い 青年 だとい うのに, 道徳的, 霊的な 強さに 裏打ち されて, それ こ そ 最高の 手腕 を 発揮して いました。 ひ よんな ことで 彼が 末日 聖徒 ィ エス' キ リ ス ト 教会の 熱心な 信者 だと 知つ たと きに, ああ それで かと 合点が い つ たわけです。」
この 手紙の 主 は 教会員で はない。 また, 彼が 書いて きたの は 法廷で 対 決した 相手の こと だが, 私 は その 青 年 をよ く 知っている。 手紙の 主 は 私 が 彼 を 知っている こ と を 知らない 力;, 兄弟た ち, 私 はもし 私たちが 自分の 神権の 召し を 全力 を 尽く して 遂行し, 生きるべき 道 を 生きたならば, 世の 中に 影響 を 与え, 主が 私たち を 力 あ る 者と なして 下さる こと を, この こ とから 知った ので ある。 これ は あな たがた に対する 私の 証で ある。 イエ ス • キリス 卜の み 名に よって, ァー
メ ン 0
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私 は 今晩 一, 二の 事柄 だけ をお 話 したい。 初めの 事柄 は 旧約聖書の ひ と り の 予言者の 夢の た と え 話で 説明 しょうと 思う。 それ は 高い 塔の 1: で その 地方 一帯 を 見張る 夜回りの 話で ある。 攻め 来る 敵 を 見張って いて, その 敵が ラ ク ダか 馬で 砂塵 を あげな がら 近づいて くるの を はっきり と認 めた。 夜回り は 中庭に 立つ 主人に 刻 刻 それ を 報告した。 彼 は 「万事 はよ し, 万事 はよ し」 と, また 何 か 危険 を 察したら すぐさま それ を 報告した
ところが 夢の たとえ 話の 中で は, 主人が 「夜回りよ, 今 は 夜の なんど きです カリ 夜回りよ, 今 は 夜の なん どきです 力、」 と 聞く ので ある。 それ は, 見える 日中に 来る 敵よりも 夜中 に 来る 敵の 方が 恐い こ と を 教えて い る。
そ こ で 私が ひ と つ 取 り 上げた 、の は, 夜中に 来る 敵の ことで ある。
メ ルケ ゼデク 神権 者の 全員 を 指 し て う 「長老」 という 語 は, 信仰の
擁護 者 を 意味す る。 それが 私たちの 第一の 責任で あり 召しで ある。 すべ ての メル ケゼ デク 神権 者 は, 信仰 の 擁護 者た るべき 人々 である。
私たちの 間に は, 絶えず ドア をノ ッ ク し, 若い 男女, それ も 特に 世慣 れぬ 純真な 人々 にわな を かけよ う と
信仰の 擁護 者た ちへ
大 管長 会 第一 副 管長 • 十二使徒 評議員 会 会長
ハロルド • B • リ一
する 狡 滑な 敵が 存在す る。 つまりお 話した いのは, 飲酒 や 賭事 や 売春 や ポルノとの 闘いと, そして 安息日 を 清く 過ごした いと 願う キ リ ス ト 教徒 を 援助し よ う とする 私たちの 努力に ついて である。 私たちの しなければ ならない こと は, 安息日 を聖 なる も のとす る 大切 さ を 強調して 主が 言わ れた 次の こと を, 胸に 刻む ことに 尽 きる。 「汝 なおさら 充分に 世の 汚れに 染まざる 様, 祈りの 家に 行きて わが 聖日に 汝の聖 式 を 棒ぐべし。」 (教義
と聖約 59: 9) 従って 信仰の 擁護 者 は, 勤労者 や 少年少女, 夫 や 妻が 週 の 一日 を 家族と 一緒に いられる よ う に, 安息の 一日が 得られる ように 注 意す るべき である。 夜回りよ, 「危険 な 夜」 を 警戒しなさい Z
次に 少し だけお 話したい こと は, 1913 年 8 月 に 出 された 大 管長 会の 声 明で ある。 教会員に 対する その 警告 は 現在まで 過去 何人 かの 指導者が 繰 り 返し 述べ, 私たち もよ く 耳に して いる。 1913 年に 大 管長 会 (ジ ョセ フ • F 'スミ ス大 管長, アンソン' H • ランド, チャールズ • W • ペン ローズ 副 管長) から 出された その 書 簡を 読んで みたい が, 題して 「警告 の 声」
「末日 聖徒 イエス' キリス 卜 教会の
役員, 会員 各位
ハイラム. ページの とき (教義と
聖約 28 章) 以来, 折々, 教会員に 対 する 偽り の 霊の 現われが 起きて いる。 時に こ う した 現われ は, 罪 を 犯した ために 大 いなる 偽り者の えじきと な つた 男女に 起きて いる。 また ある 場 合に は, 教会の 規則 や 儀式 や 様式 を 厳守して いる こ と を 心から 誇りに し ている 人々 が 悪霊に よって 背教に 導 かれて いる。 悪霊た ち は, 余りに も 神からで たものと 酷似した 影響力 を 行使す るた めに, 自分 を 『選民』 と 考えて いる このような 人々 でさえ, その 本質的な 違い を 識別す る 難 を 感じて いるので ある。' サタン 自 身が その 身 を 変えて, 「光明の 天 一 を 装う ので ある。
示現, 霊夢, 異 言の 力, 予言, 内 なる 声 あるいは 非凡な 賜, «感 など 力;, これまで 受け入れられ ている 教 会の 啓示 と 調和し ない も ので あつ た り, 』下 統な 権威者の 決定に 反する よ うな ものであるなら, それが, どん なにもつ ともらし く 見えよう とも, 末日 聖徒た る 者 は, それが 神から 出 たもので はない と 判断し なければ な ら ない。 また, 教会 を 導く ための 決 定は 教会の 頭 を 通して, 啓示に よつ て 与えられる という こと も 理解し な
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ければ ならない。 教会の 忠実な 会員 は 皆, 自分自身 のために, 自分の 家 族の ために, そして 自分が 指名され, 聖 任された 管理の 職の ために, 聖霊 のさ さやき を 受ける 資格が ある。 だ が, 教会の 長た る 者 を 通して 神から 与えられ たものと 一致し ない もの は すべて, 権威 ある, 信頼すべき もの と して 受け入れられるべき ではない。 霊的な 事柄 も こ の 世の 事柄 も , 聖徒 たち は 自分自身の ことに 関する 導き と 啓示 を 受ける ことができる。 だ 力;, こ 'れは 決して, 他人に 指図す る 権威 を 持つ というの ではなく, またそう した 導きが, 教会の 誓約 や 教義 ゃ規 律, 証明ず みの 事実 や 真理, また 良 識に 反する 場合に は 受け入れな いこ とが 必要で ある。 どんな 人で も, い 力、 に ももつ ともら しい 啓示 ゃヌ 現 や 霊夢 を 神から 受けた と 主張して, 兄 弟 姉妹た る 教会員 を 説いて, 投機 や 株の 売買に 身を投じさせる 権利 はな い。 特に それが, 局地的な もので あ れ, 全 教会 的な もので あれ, 承認ず みの 権威に 反する ものである 場合, なおのこと である。 主の 教会 は, 『秩 序の 家』 である。 主の 教会 は, 個人 に 与えられる 賜 や 現われに よって 統 治される ので はなく, 指定され た大 会で 教会員の 挙手に よ り 支持され た 聖 なる 神権の 秩序と 権能に よって 統 治されて いるので ある。
教会の 歴史に は 霊の 現われ を 信じ て みせかけの 啓示 を 受けた と 主張し, それ を 受ける 人々 を 導こう と 虎視眈 々とねら つてい る 詐欺師 や 熱狂者の 例が 数多く 記録され ている。 そして その 結果 生ずる もの は, いつの 場合 でも, 失望, 悲嘆, そして 不幸で あ る。 さらに 財政 的 損失, 時には 完全 に 破産して しまう こと も ある。 私た ち は, それら を 言い出した 人が 公言 している « 的 顕現と 信奉者 を 熱中 さ せる 力 以外に 拠り どころ のない 偽り の 転覆 計画に は 反対す るよう に, 末
日 聖徒に 警告す る こと は 私たちの 義 務 であると 感じて いる。 私たち は, 商売人の 利益に しかなら ない 株式に 聖徒た ちが 金銭 や 財産 を 投資す る こ とのない ように 警告す る。 『シ オンの 噴い』 や 『死者の 救い』 などと いう 名目で 一見 立派な 目的 を 持つ 金 も う けの 計画 は, 教会の 秩序 を 知った 者 を 欺け る もので はなく, 本来なら ば 地に も 天に も 記録され る 確実 な 価値 ある 仕事に 向けるべき はずの 時間 や 労力 を, 浪費す る 結果に しかなら な
いで あろ う。」 (ジヱ ームズ ' • R • ク フーフ IH , Messages of tne First Presidency 「大 管長 会メ ッセー ジ」 ブック. ク ラフ ト社, 1970 年 第 4 巻 pp. 285—286)
教会員の ある 人々 が, 扇動 的な 話 や 夢 や 示現, 祝福 師の 祝福と 称する 文章 や 引用文, あるいは 明らかに だ れ かの 個人的な 日記と 思われる 文章 を 言い 広めて いる こと は, 何と 愚か な ことかと た だ あ きれる ばか りで あ る。
例 を あげれば, ある 教会 幹部が 主 の 啓示に 反して 自分が 教会 を 導く と 言い出した という 悪意 ある 話が あ り , 教会 幹部に 分裂が あると いう 風に 宣 伝して いる 力;', 調査 をす ると その 手 紙の 主 は 教会の 記録に も ほかの どこ にも 実在し ない 架空の 著者で ある。 住所 も 偽りであった。 しかし 驚く こ と は, 調査の 結果 まったく のでたら めであった その 偽造 文 や 偽の 啓示が, 扶助 協会の 集会 や 神権 定員 会, つ 了 ィ アサイ ド, インス ティ テュー 卜, セミナ リ 一にまで 入り込んで いた と いう 事実で ある。
信仰の 擁護 者で ある 神権 者の 兄弟 たちに 望みたい。 聖徒た ちに, 悪魔 の 活動 を 助長す るの はやめよ と 説き なさい。 主の み 業に 自分の 時間 を 使 うように し, このような こと を あな たの 責任 下で 起こさな いよ う にして いただきたい。 それ は サタンの しわ
ざで あり, そのような こと を 触れ 歩 いたり 言い 広めた りする よ うな 者 は, 悪魔の 戯れに 乗って いる 者な ので あ
る 0
教会 幹部の ひと りが 救い主の 再 降 臨に 際して 教会の 管理者に なるとい う 祝 fei 師の 祝福 を 持って いると 伝え られ ている が, これ もも ち ろん り である。 また, あるひとり は, 今生 きている 人の 中で 救い主の 来臨 を そ の 目で 見る 人た ちがいる と 知らされ たという 力 S それ もまた 作り事で あ る。 救い主 は, 再降臨 は 夜に 来る 盗 人の ように やってくる, その 時 は 天 使 さえ も 知らない, と言われた。 し ばし 考えてみれば, 権能 ある 者 はだ れ ひとり, そのような 主張 を 正しい などと 言わない こ と 力: わかる であろ
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このよ うな 例 は 幾つ も ある。 ある ひとり の 教会 幹部が, カリ フォルニ ァの民 は 口 ツキ 一山 脈の 頂上に 登れ, そこ だけが 安全 だからと 言った とい う 報告が ある。 私たち は それに 反し て, 心の 清い 者た ちがいる 場所 は 安 全で ある。 どこに いようと 神の 戒め に 従って いるならば 安全 だと, 常に 教会員に 説いて いる。
兄弟た ち, 繰り返して 言う。 悪魔 の 所業 を 私たちの 中に のさ ばらせて はならない。 説教 や レッスンの 題に 取り上げて はならない。 義 しい 業 を
語りなさい。 そうすれば 悪魔の 力 は 私たちの 中から 消えて? ひ くであろう。 もう ひとつ, お話したい ことがあ る。 それ は 「啓示に 続く 迫害」 とい
う 題の ジ ヨセフ • F • ス ミス 大 管長
の 言葉で ある。
「啓示に よって 導かれ, 主から 主の 民と 認められた 民で, 悪人 や Pft 落し た 者た ちから 憎悪と 迫害 を 受けな か つた 民 は ひとつ もない と 思う。 また 恐 ら く どの 民 も 悪人 や Pfl 落 し た 者た ちから こんな 迫 宵 は 受けな 力 > つ ただ ろう。 もしも 今, 昔 聖徒た ち が 迫' 寿
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者の ネ 口 や 口 一 マ 人の 手に 落ちた よ うに, 私たちが 迫害す る 敵の 手中に 落ちて いたならば, この 民 ほどの 迫 害 を 受けた 民 は 出現し なかった こと であろう。 悪人た ちの 心に 地上から 主の 王国 を 滅ぼし 去ろ うとい う 闘志 が これほどに 根強く 深い 時代 はかつ てなかった。 だが, 彼ら は 不可能な こと を もくろんで いるた め, 失敗に 終わる であろう。 そして この こと は 万人の 目に 明らかで ある。 …… (神 の) 神権 は 地上に あり, 聖徒た ちま たは 聖徒た ちの 多くが 彼らの 召し を 全力 を 尽くして 遂行し, 自分の 生活 と 主に 捧げた 自分の 全 財産 を もって, 神権 と 主 を 敬って いるから であ
る。」 (Deseref Weekly News 「ァ ゼ レト • ウィークリー ニューズ」 第 24 巻, 1875 年, P. 708)
神権 を 持つ 皆 さん はこの 神権 時代 に 末日 聖徒に 対して 加えられた 迫害 はすべ て, 神権の ことで あろうと 結 婚 のこと であろうと シ オンの 集合 あ るい は 神権の 継承に ついて であろ う と, どれ も 正しい 系統 を 通じて 与え られる 啓示の 原則が 争点 になって い る ことに 気付いて おられる はずで あ る。 恐らく この 迫害 も, 使徒 バウ 口 が 言った ように, 主が 予言者 を 通し てこの 民に 与えた も う 啓示の ゆえに 私たちが 度 を 過ぎて 誇る ことのない
ように, サタンから 遣わされた 私た ちの 肉体の とげで あろ う 。
予言者 ジ ヨセフ' ス ミス は 迫害 さ れ, 憎悪され た。 命 を 脅かされた 彼 はこの ように 言って いる。 「何故 真実 のこと を 話す から 私 を 迫害す るの 力、。
私 は 示現 を 受けた ので あるから
それが 事実で あるの を 身 を 以て 知つ ている。 私 は 神が それ を 知 りたもう こと を 知っている。 私 は それ を 打ち 消す こと はでき なかった。 また 敢て 打ち消そう と も しなかった。 私は少 くと も, 本当にあった こと を 打ち消 すな ら ば 神の 怒 り を 受けて 罪の 宣告 を 受ける こと を 知っている」。 (ジョ セフ • ス ミス 2 : 25)
2 , 3 年 前の こ と だが, ある 人が 私たちのと ころに 来て ひと りの 兄弟 にこう 言った。 「もし あなたがたが ひ とつの 原則 を 破棄したら, あすに で も 教会に 人りたい のです がね」。 その 兄弟 は 「どんな 原則です か」 と 聞い た。
すると 彼 は 答えた。 「現在で' も 啓示 が あると いう こと を 信じる の を やめ たら, あなたの 教会に 入ります。」
そのと きに, 教会員で ある 兄弟が 驚く こと を 私に 言った。 「どうで しょ う, い いんじゃ ないかと 私 は 思う の です が」 と。
いったい どういう ことであろう 力 S
私たちが この 教会に 啓示が ある こ と を 否定し 始める とき, それ は, 現在 私た ちの 間 に 神の 力が 存在 しないと 考える のと 同じ ことで ある。 私たち は, 神が 啓示 をされ る こと, 今も教 会の 過去の すべての 神権 時代 同様, 主の 王国に 関する 万事 を 啓示して お られる こと を 確かに 信じて, 知り, 固い 証 を 持たなければ ならない。
私たちが これらの こと を 理解す る ように 願って いる。 また, 教会の 擁 護 者で あるべき 兄弟た ち は, 与えら れた 召しの 力と 威厳 を もって 立ち上 がり, 教会員の 一致 を 乱そうと する 偽り を 退散 させなさい。 今, 私たち の 間の 最大の 危険 は 恐れで ある。 恐 れは 主から 来る もので はない。 信仰 と 平安 こそが みたまの もたらす 実で ある。 願わくは 教会員に, どこに 平 安 を 求めるべき か を 教える ことが で きる ように。 それ は 議会で 制定され る 平和, 軍隊 や 戦車 や 鉄砲 や 戦闘機 で 維持 される 平和 で はなく, 主が 言 われた ように, 世の ものに 打ち勝つ ことから 得られる 平和で ある。 私た ちが それ を 知って 行ない, この 試練 と 苦難の 現代 に 望まれる 通りの 末日 聖徒の 生き方が できる よう, 神が 助 けた まわん こと を, イエス • キリス ト のみ 名に よりお 祈りす る。 ァーメ
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神権の 召し を 全力 を 尽く して
大 管長
ジ ヨセフ • フィールディング. ス ミス
愛する 兄弟た ち, 老若 を 問わず 自 分の 神権の 召し を 一生懸命に 果た し ている 人々 に対して 祝福す る 気持と, 彼らが この 世で みたまの もたらす 良 きもの を ふんだんに 受け, 次の 世で は 永遠の 富 を 授かる よう, 主に 願う 気持で 一杯で ある。
戒め を 守り, 教会で 熱心に 仕え, 人々 の 幸せと 向上の ために 働いて い る 人た ちに 心から 申し上げたい。 心 の 底から, 主 は あなたがた を 祝福し て 下さる。
そ して 真理と 義の道 を 歩み 続けた ならば 主から 永遠の み 国に 迎えられ てあら ゆる 時代の 予言者 や 聖徒た ち と共に 受け継ぎ を 授かる こ と を 確信 して, 安ら ぎ を 得る よ う にと。
主が 私た ち 一人一人に 神権の 全 き を 授け, その 神権 を 私たちが 受けて 召し を 全力で 遂行したならば, 主の 王国で 主と 共に 永遠の ゆずり を 与え ると 約束され たこと を 知る の は, 何 と 素 晴ら しい ことか。
私たちが 受けた この 神権 は, 人の 救いの ために 万事 を 代わって 行なう ようにと 地上の 人間 に 神が 委任 さ れ た 力で あり, 権威で ある。 神権 はジ ヨセフ • ス ミスと ォ リノ 《一 • 力 ウド リに 現われた 天使の 手から, 現代の 私たちに 伝えられ ている。
1823 年 9 月に モロ ナイ は ジョセ フ 'ス ミス を 訪れた と き , かって 主 が マラキに 語られた 言葉 を 引いて こ う 言った。 「見よ, 主の 大 いなる おそ るべき 日の 来る 前に, 予言者 ェ ライ ジャの 手に よりて, われ 神権 を汝に 頭さん。」 (教義と 聖約 2 : 1 )
ヱ ライ ジャの 来訪と 結び 固めの 力 が 回復され る 用意 をして, 人が 完全 な 神権 を 受けられる ようにと, 1829 年 5 月に パプ テス マの ヨハネ が 来て , ジ ヨセフと オリ バーに ァロ ン 神権 を 授けた。 それから 少し 後に ぺ テロ, ヤコ ブ, ョ'、 ネが 来て, ふたりに メ ルケ ゼデク 神権 を 授けた。
その後 1836 年 4 月 3 日に は カー ト ラ ン ド 神殿に 予言者 ェ ライ ジャ 力; 現われ, 彼らに 結び 固めの 力 を 与え た。
地に も 天に もつな ぎ, 結び 固める た め に 神権 を 行使す る 権能で ある。
また 1841 年, 主 は 予言者に 「完全 なる 神権」 は 主の み 名のた めに 建て られる 「家」, すなわち 神殿に おいて のみ 享受で きる と 啓示され た。 1843 年に 予言者 はこう 語った。 「人が 神の 神権の 全き を 受ける に は, それ をィ エス. キリス 卜が 得られた と 同じ 方 法で 受けねば ならない。 すなわちす ベての 戒め を 守り, 主の 家の すべて
の 儀式に 従う ので ある。」 {Docu- mentary History of the Church 「教 会 歴史 記録」 第 5 巻, P. 244)
この こと を 多少 異 つた 面から と ら えてみたい。 あなたが 教会の いずれ の 職に あろうと, それ はかまわない。 使徒であろう が 祝福 師 であろ う が大 祭司で あろうが …… 。 ただ, 完全な 神権と 永遠の 報いの 完き は, 主の 家 の 儀式 を 受けなければ 得られない。 それらの 儀式 を 受けた ときに, 扉が 開 いて だれ も が受 けられる 祝福の す ベて を 得る ので ある。
教会で 自分よ り 高い 職に 就いて い る 人が いるので, 自分 は 主の 祝福 を 完全に 受け る ことな ど 到底で きない と 考えて はならない。 あなたが 忠実 ならば, 長老と して それらの 祝福 を 自分に 結び 固める ことができ, その 祝福 を 受けて 誓約 を 誠実に 守った な らば, 人が 得られる すべての もの を あなた も 得られる ので ある。
完全な 神権 を 持たないで 神の 王国 に昇栄 する こと はでき ない。 そこで メ ルケ ゼデク 神権 を 受ける すべての 男性 は, 昇栄 するとい う 誓詞と 誓約 と共に それ を 受ける ので ある。
人の 側の 誓約 は, 神権の 召しに 全 力 を 傾注し, 神の 口から 出る 一つ 一 つの 言葉 を 守り, 戒めに 従う という
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こ とで ある。
それに 対する 主の 聖約 は, 人が 誓 約 を 守ったなら ば 御 父の 持って お ら れ るすべ てのもの を 彼に 与える とい うこと である。 これ は, 主が はっき り と 誓って おられる 実に 神聖で 重大 な 約束で ある。
ァ ロン 神権 を 持つ 兄弟た ち は, 大
神権に 属する この 誓詞と 誓約 を まだ 受けて いないが, 主から 大きな 力と 権威 を 与えられ ている。 ァ ロン 神権 は, 後の もっと 大きな 祝福に ふさ わ しくなる よう に 私たち を 訓練す る備 えの 神権で ある。
あなたが 執事 や 教師 や 祭司と して ; ふ'、 実に 仕えるなら, 経験が 蓄えられ, メ ルケ ゼデク 神権 を 受けて おし を 全 うする だけの 能力と 資格が 備わって 行く。
ァ 口 ン 神権 は 天使の 導きと 恵み, 悔い改めの 福音, 罪の 赦しを 受ける ために 水に 沈める バプ テス マの 鍵 を 握って いる。 これ はみ な 大きな 祝福 であり, 主の 家で さらに 大きな 祝福 を 受ける ための 準備と して 欠かす こ とがで きない。 人 は これらの 祝福 を 受けて 昇栄 する ので ある。
神権の 祝福が 男性 だけに 限られて
いない こと は, だれもが 知っている と 思う。 神権の 祝福 は, 妻 や 娘ゃ教 会の すべての 忠実な 女性た ちに 注が れる。 それらの 立派な 姉妹た ちは戒 め を 守り, 教会で 奉仕の 業に 励む こ とに よって, 主の 家の 祝福 を 受ける 準備が できる。 主 は 娘た ちに も, 息 子 た ち が受 け る 霊的 な 賜 や 祝福 を す ベて お与えになる。 なぜならば, 主 にあって 女な しに 男 はない し, 男な しに 女 はない からで ある。 天の 祝福が 聖な る 神権 を 持つ 者た ちと, あらゆる 天父の 子供た ちの 上 に 注がれん こと を。 兄弟た ち, あな たがた は 全能の 神の 力と 権威 を 持つ ており, 自分と 愛する 人々 を 救い, 昇栄 させる 力 を 手中に 握って いるの である。
この 世の中に, 神の 王国に つける こと を 生活の 第一に 置いて, 戒め を 守り, 神権の 召し を 全力 を 尽く して 遂行し, 主の 家に 行って 御 父の 王国 の 完全な 祝福 を 授かる ことほ ど, 私 たちに と つて 大切な もの はない。
さて, 神権 を 持つ 兄弟た ちょ, 私 は義の 業に 対す る あなた がた の 信仰 と 働き を 称賛す る。 主の み 業と, 神 権 を 用いて 世の 人 を 祝福す る ことに
懸ける 熱意と 献身 を 称賛す る。
あなたがたの 立派な 奉仕 は, その 業の 主で ある 神が よ く 御存じで ある。 神 はこれ まで あなた を 恵みた も う た。 これから も 地の 良 き もの を あなたに 恵み, さらに は 永遠の 富 を も 用意し て おられる。
あなたがたが 物的に も 霊的に も 祝 福され て 栄える よう, 信仰と 証 を 強 めて, 心に 正しい 望み を 抱く ように と 祈る。
愛と 平和の 精神が あなたがたの 家 庭に あり, 父と 息子が 神権 を 持ちつ つ 愛で 結ばれて 共に 働き, すべての 末日 聖徒の 中に 完全な 一致の 精神が 行き わたるよ う にと 祈る
御 父が 人生の 準備 期に ある ァ ロン
神権 者の 兄弟た ち を 助け, 困難 や 誘 惑に 遭った と きに は 彼ら を 守り, と り わけ 彼らが, そして 私たちの すべ てが, 戒め を 守って 聖霊の 友と して ふさわしい ようにと, 祈る。
そして, 私たち すべてが この 試し の 世に ある 間に, 主の み 業に 働く 平 安と 喜びと 満足 を 得て, やがて 次の 世に 永遠の 生命 を 受け継ぐ よ うにと, イエス. キリス 卜の み 名に よって 祈 る ものである。 ァーメ ン。
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十二使徒 評議員 会 会員
マリオン • G • ロムニー
昨年の 秋, 3 つの 伝道 部 を まわつ て 400 人 ほどの 宣教師と 面接 をす ませ た 終わり頃に, 私 は ある 宣教師から 肝の 縮む 思い を させられた。 彼 は, 何 か 言いたい こ とや 聞きたい こ と は ないです かとい う 私の 質問に 答 え て , 「教会 幹部との 面接 は 素 晴ら しい こ となんで すか」 と 聞いて きた。
私 は 時間 かせぎに, 「どういう こと です か」 と 聞き返した。
彼 は それにこう 返事した。 「大 低の 宣教師 は 教会 幹部の 面接 を 楽しみに 待って いて, 面接の 後 も いつまでも そのと きの 話 をし ます。 でも 私 は そ ん なに 大した こと だと 思わな いんで す。」 やっと 立ち直った 私 はこう 返事 した。 「答え は あなたが わかる でしよ う。 ふたりの 人が 並んで 大会に 出席 して, 帰って から ひと りが 『あんな に 素晴らしい 大会 は 初めてだった。 感激した』 と言うと 思え は, もう ひ とり 力; 『大して 良く はなかった。 代 わり 映えの しない 話だった』 と言う
の ("i, どうして でしよ うか。」
けさ, 5 時 頃 起きる と, この 言葉 が 心に 浮かんで きた。
「さて, 私 ニーフ アイ は 私の 民の 中 に 教えられ たこと を みなこ こに 書き 記す こと はむ つかしく, また 書く 時 に は 話す 時 ほどの 力がない。 それ は,
人が 聖霊の 力で 語る ときには, 聖霊 がその 話 を 人の 心の中に 浸み こませ るからで ある。」 (11 ニーフ アイ 33 : 1 )
きょうの 私の 話に, 難しい ところ は 全くない。 単純 明快で ある。 たい がいの 人が よ く 知っている ことで あ る。 話の 題 は, 「平安 を 得る 方法」。 その 大切 さは 筆頭 級で ある。 しかし, 私が 聖霊の 力 を もって 語り, 皆さん が 聖霊の 力に よ つて 聞く のでな けれ ば, それ も 代わり映えの しないた だ の 話になる であろう。 私 は, 共に そ のみた まと 力が 受けられ るよ う に, 断食 をして 祈って きた。 ここで 私と 一緒に, 心で 祈って いただきたい。 天父なる 神よ, 私たちが 聖'^ の 力に よって, 語り, 聞く ように, イエス' キリスト のみ 名に より, お祈り 致し ます。 アーメン。
私 は 改宗して 間 もない 人の 手紙 か ら 引用して, 話 を 始めたい と 思う。
彼女 はこの ように 書いて いる。 「私 は ほとんどの 教会 を 見て き ましたが, どこに 行っても 空しい 気持 を 感じる だけでした。 でも, それでも 宗教 は 何 かしら 大切な の だとい う 気持 はし てい ま した。 何年 も 答え を 探し 続け ましたが, その あと 教会へ 行く の を やめて, 3 年間 は どの 教会に も
全然 行きませんでした。 でもお 祈り はし ましたし, その わからない 何 か を 求める 気持 はずつ と あり ま した。
そのよ う な 状態の ある 木曜日のお 昼時に ドア をノ ッ ク する 音が して, ふた り の 感じの よい 青年が 立って い ました。 『末日 聖徒 イエス 'キリス 卜 教会』 の 宣教師で, 大切な お 話 をし たいとい う ことでした。 …… 私 は 2 度 目の 訪問が あつたと きに, これが 一生 を かけて 探して いた もの だと わ かりま した。 …… 」
彼女 は 続けて こう 書いて いる。 「一 番 印象的だった の は, 私たちの 神様 は 生きて いる 神様 だとい う 初めて 聞 いた 素晴らしい 教えでした。 そのと き 初めて, 神様が どんなお 方 か を 知 りました。 ジ ヨセフ. ス ミス が 神様 にお 会いして, 神様 は 私たちと 同じ よ う な 骨肉 を 持って おいででした。 以前 は 神様 は あらゆる 場所 を 漂 う 霊 のよ う な もの だと 思って いたので, それ は 私に とって 素 晴ら しい ことで した。 以前の 概念で は, 神様 は 捕ら えど ころの ない お 方でした。 けれど も 今, 神様 は 私に とって 現実のお 方 になり, もう 『ある もの』 ではなく 『あるお 方』 でした。 それ 力;, いろ いろと 迷い 悩んだ ことに 対する 答え でした。」 (Millennia! Star 「く レニ
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アルスター」 1960 年 6 月 号)
まことの 生ける 神 を 新たに 知った この 謙 適な 女性 は, 心の 正しい 人な ら だれもが 求める もの, つまり 平安 の 鍵, すなわち 心と 魂の 平安, 人と 国家に は 平和と 善意 を もた ら すその 鍵 を 見付けた ので ある。
教会に 改宗す る 人々 の 体験 は, そ のよう な 知識が 個々 の 人に 平安 を も たらす こと を 示して いる。 大勢の 人 が 心に 平安 を 持てば, 当然の 成り 行 き と して 民 や 国に 平和が 来る。
まことの 生ける 神 を 知る 知識が 人 に 平安の 進 を 歩ませる こと を, ョセ フは 「ユダヤ 古代 誌」 の 中で 印象的 に 語って いる。 その 箇所 を 引用して みたい と 思う。
「モー セが 重要視し ていた ことがあ る。 それ は, 自分の 生活 をう まく 治 め, 律法 を 定める 者 は, まず 第一に
お fc んぱ 6'
神の 性質 を 慮り …… そして …… それ に 従おう と 努めなければ ならない と いう ことで ある。 (モー セ) 自身 も そ のよう な 考え を 持って いなかったら, 正しい 心が 持てず, 書き物 も 読み手 に 善 を 志向させる こ とがなかった こ とであろう 。 -… •• 何よ り も まず, 神 が 万物の 父で あり, 主で ある こと, このため 神に 従う 人々 に 幸福な 人生 を 恵みた もうこと, しかし 善の 道 を 歩まぬ 者 は 悲劇 を 避け 得ない こと を 人々 に 教え な け れ ばなら なかった。 さて, モー セが この 教え を 同族の 民 に 教えたい と 思った とき, (ヨセフス はさら にこう 続けて いる) 彼 は 律法 の 確立 を ほかの 立法者が と るよう な 方法で は 始めなかった。 つまり, 当 時 者 間 の 契約 や 儀式 典礼 という 方法 ではなく, 民の 心 を 神と 神が なさつ た 世界の 創造に 向けさせて, 私たち 人類 は 地上の 神の 被 造 物 中 最も 優れ たもの だと 説く こと を したの だった。 彼が いったん 民 を 宗教に 従わせる こ と がで きる と, 他の すべての こ と に 従わせる の は 容易だった。 …… (ョ
セ フス はこう 結論して いる) モー セ は, 神が 完全な 徳を 備えて おられる こと を 立証す るが はやい か, 人間 も (そのような 徳を) 努力 追求す るべ き だと 考えた。」 {The Works of Josephus 「ヨセフ ス著 PP. 38— 39)
人 はまことの 生ける 神 を 正しく 理解 して 信仰 を 持った ときに, 徳を 身に つけよ う と 努力す る。 神 は 彼らの 希 望の 星と なり, 神に ならう ことが 最 高の 願望と なる。 「天の 父が 完全で あ られ るよう に, …… 完全な 者と」 (マ タイ 5 : 48) なろうと 努める とき, 彼ら は 実際に 神の 性質に あずかる 者 となる。 そのよう にして, 人々 は 信 仰と 知識と, 節制, 忍耐, 信心, 兄 弟の 親切, 愛, 慈愛な ど, まことの 生ける 神に おいて 完成され ている 諸 諸の 徳を 自分に 増し 加えて ゆく ので ある。 これらの 徳は, 利己心, 我欲, 肉欲, 憎悪, 争い, 闘い を 心から 追 い 出す。 そして 幸福と 充足と 喜び, 平安が 自然に わいて く る。
現代に 平安 を 得る ための 普遍と 言 つても よい 道筋 は, 「神に 立ち返る こ と」 である。 「神に 立ち返って 平安 を 得よう」 という 叫び声 は, 全世界の 心 正しい 人々 から あがって いる。 私 たちから 平和が 失われて いるの は, 平安 を 呼び戻す 法 を 知らないからで はなく, 立ち返るべき 神 を 知らない ためで ある。
偽れる 神に 頼っても 平安 はない。 神話の 神々, 異教の 神々, 手で 彫つ た 像, この 世の 知恵な どに 帰依して も 利己心 や 我欲, 肉欲が 増し, 論争 と 葛藤と 争いが 深まる ばかりで ある。 平安 を 得る ために 人の しなければ な らな いこと は, まことの 生ける 神 を, 先程の 改宗した ばかりの 女性が 見つ けた その 神 を, 見いだ して 神に なら うこと である。
神 を 発見し, 神に 従う こと は, 過 去の どの 時代 もそう であった が, こ
の 時代に も 一番 必要な ことで ある。
神 を 知る 知識 は, 死の かなたの 世 界で 永遠の 生命 を 得る 鍵で あると 同 時に 地上の 人心と 国に 平和 を も た ら す 鍵で も ある。 神 を 知る 知識 は 非常 に 大切な ので, 神 は 過去の 歴史 を 通 じて 折に つけ, 御自身 を 明らかにし て 来られた。 従って, 人 は 神に つい て 無知 を 押し通し ていて はよ しと さ
れ ない。
創世記の 第 1 章で, モー セは 明快 な 言葉で 神の 姿, 性質 を はつ き り述 ベて いる。
「神 は 自分の かたちに 人 を 創造され た。 すなわち, 神の かたちに 創造し, 男と 女と に 創造され た。」 (創世 1 : 27)
信仰 ある 人なら ば, まがう かたな いこの 言葉 を 理解で きる はずで ある。 モー セ は 推測で 神 と 人 を 同じ 姿に し たので はない。 自分で 知って, 語つ たので ある。 モー セは 全能の 神の 力 によって 「いと 高き 山の 中に 捉えら れて 行き」, そこで 「神と 顔 を 合せて 相 見, 神と 相 語り …… 」, 「神, モー セに 語りて 言いた まえり。 見よ, わ れは 全能の 主なる 神に して …… 」 「見 よ, 汝 はわが 子な り。 …… 」, 「わが 子 モー セょ, われ 汝に 為さし むる 一 つの 業 あり。 而 して 汝 はわが 生みた る 独 子の 生 写しな り。 わが 生みた る 独 子 は 今 も 将来 も 救い主と ならん。 」 (モー セ 1 : 2 — 6 )
永遠の 父なる 神と 神の ひと り 子と, 人間が 御 二方と 似た 姿で, どういう 関係に あるの か を 告げる 明瞭な この 知識 は, モー セが イスラエル をェジ プト から 導き出し たと きに 与えられ た。 イスラエルの 民が 奴隸 になって いた 間に 神に ついての 知識が 曲げら れて しまった ため, 当時 その 啓示が 必要た' つたので ある。
しかし, そのような 啓示 はこれ が 最初ではなかった。 創世の 時代に ァ ダムが 園 を 追われてから 祈 り を 捧げ
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たと きに, その 答えと して, 「エデン の 園 を 指して 行く 途の かなたよ り 声 聞え て」, 犠牲 を 捧げよ と 命じられた。 アダムが その 通りに すると, ひとり の 天使が 来て 教え を 説いた。 「その 日, …… 聖霊 アダムに 下りて」, 御 父と 御
子の 証 をした。 (モー セ 5 : 9 参照) アダム は, モー セが まことの 生け る 神に ついて 教えられ たのと 同じく , はつ き り と 具体的に 教え を 受けた。
主 は アダムに, 「 汝 はわれに あり
て ひとつな り。 神の 子の 一人な り」
(モー セ 6 : 68) と言われた。 アダム と ィ ブは これらの こ と をみ な 子孫に 伝えた。 しかし 「サタン 彼 らの 中に 来りて 言いけ る は ァダ ムと イブの 言 を 信ずるな かれ, と。 されば, 彼ら …… サタン を 神よ り も
愛でた り 。 」 (モー セ 5 : 13)
神が ご 自身 を 啓示され たの は, モ ーセが 初めてではなかった し, モー セで 終わりで もなかった。 時の 絶頂 に, 神の 霊の 長子, イエス. キリス 卜が, 肉に よる 神の ひとり 子と して 地上に 降臨され た。 目的の ひとつ は, ご 自身と 御 父 を 明らかにする ことで あった。 イエス は それ を ごく はっき り と した 方法で 行なわれた。 パゥ 口 は そのこと を 理解して, イエス は
「神の 本質の 真の 姿」 であると 述べ ている。 (へ ブル 1:3)
ィ エス は エル サルム に 凱旋され た ときに, 「人の子と はだれ のこと です 力つ と 聞く 人々 に 向かって こう 言わ れた。 「わたし を 信じる 者 は, わたし を 信じる ので はなく, わたし をつ か わされた かた を 信じる ので あり, ま た, わたし を 見る 者 は, わたし をつ かわされ たかた を 見る ので ある。」
(ヨハネ 12 : 34, 44—45)
また あの 2 階 家で, 「わたしたちに 父 を 示して 下さい」 と 願った ピリ ボ
に 答えて, 「イエス は 彼に 言われた,
『…わたし を 見た 者 は, 父 を 見た の
である。 』 (ヨハネ 14 : 8 — 9) これらの 教え は 簡明で, 使徒 時代 の 教会の 人々 は, イエスが アダム や モー セに 御自身 を 啓示され たまこと の 生ける 神と 生き写し である こ と を 信じて いた。
しかし, 時の 絶頂の 時代の 民 は 現 代の 民 や アダム や モー セの 時代の 民 と少々 違って いた。 彼ら は 神よ り も サタン を 愛し, サタンが 民の 中に 来 て, 異教の 教え や 詭弁 を 操って は 「神 を 信じるな」 と 教える と, 神 を 信じない ようになった。 紀元 325 年に はまことの 生ける 神 を 知っていた 使 徒の 教会が 没落して 混乱に 陥って い たこと が, 二 ケア 信経から も 明白で ある。 人類 は 19 世紀まで その 深い 暗 黒の 中に あった。
人 はまことの 生ける 神 を 知り, 神 に 信仰 を 持って こそ, 主 を 求め 主の 義を 打ち 建てよ う とする 気持に 駆ら れ るので ある。 この 知識と 信仰が な いと 人に 災いが 下る こと を 知って お られる 神 は その 無限の 慈悲に よ り , 再び 御自身 を 明らかにされた。
そして, 過去に アダム や モー セゃ ィ エスな ど を 召して 啓示され たよ う に, この 最後の 神権 時代に は ジョセ フ 'スミ スを 選ばれた。 神が ジ ョ セ フ をみ 手に 取られた とき, 彼 は 世に 対して まったく 無名の 若者であった。 しかし 神に とって, ジ ヨセフ は 見知 らぬ 者ではなかった。 彼 は 天に おい て 主から 選ばれ, 末日の 回復の 力 あ る 予言者と して 予 任されて いた。
その 青年 予言者が 1820 年の 早春に あの 聖 なる 森から 出て 来たと き, 彼 に はま ことの 生ける 神に 対する 確か
な 知識が あった。 彼 は 御 父と 愛する 御子 ィ エス' キリスト に まみえ, 言
葉 を 交わした からで ある。
ジ ヨセフ は 天上のお 二方が 触 知で き ると いう 点で は 人と 同じ 骨肉の 体 を 持って おられ, 神 は 本当に 人間 を
ご 自分の 姿に 似せて 造られた の だ と いう こと を, アダム や モー セと 同じ 確信 を も つて 知った。
その 24 年後, ジ ヨセフ 'ス ミス は まこと の 生ける 神に 対する 自分の 証 を 血で 結 び 固めて 殉教した。
この 短い 生涯の 間に, 神の 神権 を 天から 受けた 彼 は 天よ りの 指示の 下 に, 末日 聖徒 ィ ヱス. キリス ト 教会 を 設立した。 そして 教会 は, 全世界 の 生きと し 生ける すべての ものに ま ことの 生ける 神 を宣べ 伝えよ という 神聖な 命令 を. 再び 受けた。 (教義と 聖 約 68 : 8, 112: 28 参照) これ こそが 末日 聖徒 ィ エス' キリス 卜 教会の 使 命で あり, 教会 は 全力 を 傾けて それ を 行な う ので ある。
そして 今, 教会 内外の 愛する 兄弟 姉妹の 皆さん, 私の 声 を 聞いて いる すべての 人に, 私 はまことの 生ける 神 を 証す る 責任と 栄誉 を 持つ 者と し て, 神が 御自身 を 示された それらの 啓示, これまで 私の 述べて きた こと が 真実で あると 証す る。 また, 神 を 受け入れて 神の 義を 確立し よ う と努 める すべての 人に は, 冒頭の 改宗者 が 語って いた あの 平安が やってく る こと, そして 多くの 民が 神 を 知る よ うに なれば, その 知識と 信仰が 心に 変化 を 生み, 自分ば かり かこの 騒然 と した 世の中に も 平安 を もたらす こ と を 証す る。 なぜならば, 個々 の 人 間にと つても 国家に とっても, 平和 の 鍵 はまことの 生ける 神に 対する 知 識と 信仰 だからで ある。 そうして 得 られる 平安 を 避けて いると, 論争と 争いが 増して, やがて は 予言者た ち の 言う 破滅に 至る だ けで ある。 私た ちが まことの 生ける 神 を 尋ね, 見い だして, 平安 を 選び 取る よう, 神が 恵みた まわん こ と を。 イエス' キリ ス ト のみ 名に よ り, へりく だって 祈 る 次第で ある。 ァーメ ン。
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揺るがぬ 信仰
十二使徒 評議員 会 会員
デル バー 卜 'L 'ス ティ プレー
愛する 兄弟 姉妹, 友人た ち, ただ 今 話された 愛する ダン 兄弟から 私の 話の 題 を 御 紹介いた だき うれしく 思 う。 使徒 ヤコ ブの 書簡に ある 聖句 力;, 私の 説教の テーマで ある。
「あなたが たのうち, 知恵に 不足し ている 者が あれば, その 人 は, とが
与える 神に, 願い求め るが よい。 そ うすれば, 与えられる であろう。 た だ, 疑わないで, 信仰 を もって 願い 求めなさい。 疑う 人 は, 風の 吹く ま まに 揺れ動く 海の 波 に似てい る。 そ ういう 人 は, 主から 何 か をいた だけ る ものの よ う に 思うべき ではない。 そんな 人間 は, 二心の 者であって, そのす ベての 行動に 安定がない。」 (ヤコ ブ 1 : 5 — 8 )
近代の 予言者 ジ ヨセフ. ス ミス は 少年のと きに, 当時の 信仰 復興 運動 者た ち が 説 く 種々 の 教え に 家族が 影 響され るの を 見て, 自分の 信仰 を考 えさせられた。
そして この 聖 句の 約束 を 読んで, 「神に 願い求め」 ようと 祈った。 そ の 彼の 熱心な 祈 り を 契機 として, 神 のみこ ころに かなう この 最後の 神権 時代に キリ ス 卜の 教会が 回復され た ので ある。 し 力、 し, この 聖句は 特別 な 人 だけに あてはまる もので はない。 神 は 人 を かたよ り 見ない 御 方で ある。
(使徒 10: 34 参照) この 約束 は, 光 と 真理 を 熱心に 求める すべての 人に 与えられ ている。
デビ ッ ド. 0 • マ ッ ケィ大 管長 は このよう に 語って いる。
「信仰 は 行為に 示されて いる。 そこ に 知恵が ある。 知識 を 日常生活に 生 かす こと, 良い 行ない をす る こと… …知恵 は 偶然に は 得られない。 努力 がいる。 知恵の 源 は 神で ある。 私が あなたに 人間に と つて 最大の 功績 は 何 か と 問 うたなら, 知識で はな く , 知恵と 返答しても らいたい と 考えて いる。 世の中の あらゆる 知識 を 得た とて, 知恵に 欠けて いたならば, 均 衡を 持たない 高性能の ヱ ン ジン さ な が ら である。」
知恵と は, ここに 言われる 通り, 知識 を 正しく 用いる ことで ある。
この 末の 時代に, 神 は 民に 知恵 を 求めよ と 告げられた。
「そ は, 必ずしも すべての 人 信仰な きが 故に, 汝ら 努めて 求め, 互いに 知恵 ある 言葉 を教 うべ し。 然り, 汝 ら 最も 善き 書よ り智恵 ある 言葉 を 探 し 求めよ。 また 正に 研究と 信仰と に よりて 学問 を 求むべし。」 (教義と 聖 約 88 : 118)
祈り と 揺る ぎない 信仰に よらない で, 奥深い 知恵が どうして 得られよ うか。 いつまでも 信仰 を 反省, 評価,
疑問 視す る こと が 必要 だ と 考えて い るなら, 果たして その 人 は 本物の 信 仰 を 持って いる と言える だろ う か。 自分の 信仰 は 堅固で 揺 る がぬ 信仰 だ ろう 力、 神の 律法 を あれこれ 取捨せ ずに 守って いる だろ う か。 揺るがぬ 信仰 を 持つ こと は, 個々 の 原則 を 日 常 生活に 応用す る ことで ある。 例 を あげて 説明して みよ う。
何 か を 決意した 人, 例えば タバコ を やめよ う と 決意した 人が いると す る。 周りの人 は タバコ を 吸って いる ので, やめよう とする 強い 意志が 必 要で ある。 彼 は